賤ヶ岳の戦いの解説
賤ヶ岳の戦いは、1583年(天正十一年四月二十一日)に近江国 賤ヶ岳で行われた合戦です。夜を徹した美濃大返し、七本槍の追撃、前田利家の離脱。信長の後継者を決めた湖北の決戦。
- 年
- 1583年天正十一年四月二十一日
- 場所
- 近江国 賤ヶ岳
- 時代
- 安土桃山時代
両軍の対陣
大河『豊臣兄弟!』での賤ヶ岳の戦い
第32回「賤ヶ岳の決闘」
2026年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』において、賤ヶ岳の戦いは秀吉が天下取りを決定づける山場として描かれる。本能寺の変の後、清須会議で織田家の主導権を争った羽柴秀吉と柴田勝家。両者の対立はついに武力衝突へと至り、天正十一年、近江の賤ヶ岳で激突した。
勝敗を分けたのは、秀吉が大垣から夜を徹して駆け戻った「美濃大返し」の速さと、戦の最中に戦線を離れた前田利家の動きだった。退く柴田勢に襲いかかった秀吉子飼いの若武者たち――福島正則・加藤清正ら「賤ヶ岳の七本槍」は、この戦いで武名を上げた。
敗れた勝家は越前北ノ庄城に退き、妻・お市の方とともに自害して果てる。弟・羽柴秀長もまた兄とともにこの決戦を支え、以後「天下一の補佐役」として豊臣の覇業を担っていく。信長の遺した天下が秀吉のものとなった転換点を、布陣の動きとともに3Dでたどりたい。
合戦の経過時刻は3Dの時計
- 午前8:001章
奇襲大岩山、陥つ
天正十一年四月二十日朝。信長亡き後の主導権を懸け、柴田勝家の甥・佐久間盛政が中入りを敢行、大岩山砦を急襲した。守将・中川清秀は奮戦むなしく討死する。
- 午前10:002章
深入り盛政、退かず
「すぐ退け」という勝家の再三の命令を、戦果に酔う盛政は黙殺した。奪った砦に居座る別働隊一万二千。この驕りが、戦国屈指の大逆転を呼び込むことになる。
- 午後8:003章
大返し美濃大返し
大垣で報せを受けた秀吉は叫んだ。「勝ったぞ」――。五十二キロを五時間、街道沿いの村々に松明と炊き出しを命じ、一万五千が夜の北国街道を駆ける。世にいう美濃大返しである。
- 午前2:004章
払暁払暁、木之本
二十一日未明、秀吉軍が木之本に到着。あり得ない速さの帰還に、盛政はようやく退却を始めた。だが、退く軍ほど脆いものはない。
- 午前5:005章
追撃賤ヶ岳の追撃
「者ども、駆けよ」。退く盛政隊に秀吉子飼いの若武者たちが殺到する。福島正則、加藤清正――後に「賤ヶ岳の七本槍」と謳われる男たちの初舞台である。救援に出た柴田勝政も討死した。
- 午前7:006章
離脱前田隊、戦場を去る
茂山に布陣していた前田利家が、突如として兵を退いた。長年の友・秀吉と主筋の勝家の間で、利家は戦わぬことを選んだ。側面を失った柴田軍の運命は、この瞬間に決した。
- 午前9:007章
落城へ北ノ庄へ
柴田軍は総崩れとなり、勝家はわずかな旗本と越前北ノ庄へ落ちた。三日後、城は燃え、勝家はお市の方とともに自害する。秀吉の天下が、ここに事実上定まった。
テスト対策要点まとめ・一問一答・流れ図
超精密3Dで見ると合戦パスの特典

同じ場面を、標準の画質と超精密3Dで並べました。線を左右に動かして見比べられ、「引き」と「接近」で見え方を切り替えられます。超精密3Dでは、山肌の尾根と谷、3Dの森と岩、海や川の水面、田畑の筋、人の姿の兵まで精密に描きます。各合戦の1章目は、合戦パスが無くても超精密3Dで見られます。
この古戦場を訪ねる(滋賀・長浜(余呉湖))
古戦場は琵琶湖の北、滋賀県長浜市の賤ヶ岳と余呉湖のほとりにある。賤ヶ岳の山頂(標高約421メートル)へはリフトで手軽に登ることができ、眼下に余呉湖、背後に琵琶湖を望む絶景が広がる。七本槍の激闘が繰り広げられた尾根道も歩ける。ふもとの余呉湖は羽衣伝説の伝わる静かな湖で、近年は水鏡の景観でも知られる。勝家終焉の地・北ノ庄城跡(福井市・柴田神社)とあわせて巡ると、決戦とその結末を一続きで感じられる。
- 賤ヶ岳山頂(リフト・展望)
- 余呉湖畔
- 北ノ庄城跡・柴田神社(福井)
- 賤ヶ岳古戦場の碑
よくある質問
賤ヶ岳の戦いとは何ですか?
夜を徹した美濃大返し、七本槍の追撃、前田利家の離脱。信長の後継者を決めた湖北の決戦。
賤ヶ岳の戦いはいつ・どこで起きましたか?
1583年、近江国 賤ヶ岳(天正十一年四月二十一日)で起きた合戦です。
賤ヶ岳の戦いでは誰が戦いましたか?
羽柴軍の羽柴秀吉、柴田軍の柴田勝家らが戦いました。
賤ヶ岳の戦いを3Dで見られますか?
はい。このページで約3分の3D俯瞰演出として無料でご覧いただけます。布陣・軍勢の動き・勝敗の流れを直感的に追えます。