織田 → 離反荒木
荒木村重
あらき むらしげ
「摂津の謀将」
1535–1586(享年52)
- 官位・役職
- 摂津守
- 領国・本拠
- 摂津(有岡城)
- 3Dで見られる合戦
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後世の想像図・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
摂津池田氏の家臣から身を起こし、織田信長に仕えて摂津一国を任されるまでに出世した。だが天正六年、突如として信長に反旗を翻し、有岡城に籠城する。翻意を促しに訪れた黒田官兵衛を、土牢に一年近くも幽閉したことで知られる。やがて毛利の援軍も来ぬまま、村重は妻子や家臣を城に残して単身脱出。残された一族郎党は信長によって惨殺された。後年は茶人「道薫」として返り咲き、利休の高弟に数えられた。
生涯と合戦
- 1578天正六年
有岡城の謀反
信長に背いて有岡城に籠城し、官兵衛を土牢に幽閉した。
- 1579天正七年
出奔
援軍むなしく、妻子・家臣を城に残して単身脱した。一族は後に処刑された。
- 1586天正十四年
茶人・道薫
秀吉の世に茶人として返り咲き、「道薫」と号して堺で没した。