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東軍 ・ 細川

細川忠興

ほそかわ ただおき

三斎さんさい / 利休七哲りきゅうしちてつ

足利・織田に仕えた細川藤孝の子で、明智光秀の娘ガラシャを妻とした。本能寺では舅光秀に与せず織田への節を貫く。利休七哲の一人に数えられる茶人でもあった。関ヶ原に先立ち、人質を拒んだ妻ガラシャが屋敷に散る悲劇に見舞われつつ、東軍として奮戦し、豊前小倉を得た。

異名
「三斎 / 利休七哲」
官位・役職
越中守えっちゅうのかみ
領国・本拠
丹後 → 豊前小倉
旗印・家紋
九曜
陣営
東軍
生没
1563–1646(享年84)

生涯

  1. 天正十年 本能寺の決断 舅光秀の謀反に与せず、剃髪して織田への節を通した。
  2. 慶長五年 ガラシャの最期 出陣中、人質を拒んだ妻ガラシャが大坂屋敷に散った。
  3. 慶長五年 関ヶ原 東軍として石田隊と激戦し、戦後に小倉を領した。

この絵巻での足跡全1合戦

  1. 関ヶ原の戦いせきがはらのたたかい 慶長五年九月十五日 美濃国 関ヶ原 黒田隊と並んで笹尾山に迫り、石田本隊と一進一退の激戦を繰り広げた。 兵力 5,000名 観る ▸

ゆかりの地

  • 熊本城
  • 小倉城
  • 高桐院(京都)