豊臣軍真田
真田信繁(幸村)
さなだ のぶしげ(ゆきむら)
「日本一の兵」
1567–1615(享年49)
- 官位・役職
- 左衛門佐
- 領国・本拠
- 信濃上田 → 九度山
- 旗印・家紋
- 六文銭
- 3Dで見られる合戦
- 2合戦
肖像画・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
関東勢百万と候へ、男は一人もなく候。
伝・大坂の陣
真田昌幸の次男。関ヶ原では父とともに西軍に与し、上田城で徳川秀忠の大軍を足止めした。戦後は高野山麓の九度山に十四年蟄居するが、大坂の陣で豊臣方に馳せ参じる。真田丸で徳川勢を翻弄し、夏の陣では家康本陣に三度突撃、あと一歩まで迫って戦国最後の華と散った。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1600慶長五年
上田城の攻防
父昌幸と籠城し、徳川秀忠の大軍を関ヶ原に間に合わせなかった。
- 1600慶長五年
九度山蟄居
西軍敗北により、十四年に及ぶ蟄居の日々を送った。
- 1614慶長十九年
真田丸
大坂冬の陣で出城を築き、徳川の大軍に大損害を与えた。
- 1614慶長十九年
大坂冬の陣
惣構の南に出城「真田丸」を築き、赤備えの鉄砲隊で前田・井伊・松平の猛攻を撃退した。冬の陣で最も徳川方を苦しめた男。
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- 1615慶長二十年
家康本陣突撃
夏の陣で家康本陣に三度突入し、馬印を倒すも力尽きた。
- 1615慶長二十年
大坂夏の陣
茶臼山の赤備え三千五百。家康本陣への三度の突撃で馬印を倒し、「日本一の兵」と謳われた。
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