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真田 ・ 真田

真田昌幸

さなだ まさゆき

「表裏比興の者」

武田信玄に仕えた武藤家から真田家を継ぎ、武田滅亡後は織田・上杉・北条・徳川のはざまで巧みに立ち回って信濃上田に自立した。天正十三年の第一次上田合戦で徳川の大軍を寡兵で撃退し、その名を轟かせる。関ヶ原では長男信幸を東軍、自身と次男信繁を西軍に分け、真田の家名を残す策をとった。第二次上田合戦では徳川秀忠の三万八千を上田城で翻弄し、本戦に遅参させる殊勲を立てる。戦後は九度山に流されたが、その智謀は生涯「表裏比興の者」と恐れられた。

異名
「表裏比興の者」
官位・役職
安房守
領国・本拠
信濃上田
旗印・家紋
六文銭
陣営
真田
生没
1547–1611(享年65)

生涯

  1. 天正十三年 第一次上田合戦 徳川の大軍を寡兵で退け、真田の武名を天下に轟かせた。
  2. 慶長五年 犬伏の別れ 一族を東西に分け、自身と信繁は西軍についた。
  3. 慶長五年 第二次上田合戦 徳川秀忠の三万八千を上田城で翻弄し、関ヶ原本戦に遅参させた。
  4. 慶長十六年 九度山に没す 蟄居のまま病没。再起は叶わなかった。

この絵巻での足跡全1合戦

  1. 上田合戦うえだかっせん 慶長五年九月(第二次) 信濃国 上田 「表裏比興の者」と信長・秀吉に評された知略の将。偽りの降伏と刈田の挑発で秀忠を誘い込み、二千余で三万八千を翻弄した。 兵力 2,000名 ・ 総大将 観る ▸

ゆかりの地

  • 上田城跡(長野・上田)
  • 真田氏館跡(長野・上田)
  • 九度山・真田庵(和歌山)