大坂夏の陣の解説
大坂夏の陣は、1615年(慶長二十年五月七日)に摂津国 天王寺・岡山で行われた合戦です。真田幸村、家康本陣へ三度の突撃。「日本一の兵」の散り際と大坂城炎上で、戦国の世が終わる。
- 年
- 1615年(慶長二十年五月七日)
- 場所
- 摂津国 天王寺・岡山
- 時代
- 江戸時代初頭
合戦の経過
- 決戦前 最後の朝
慶長二十年五月七日。冬の陣で堀を埋められた大坂城は、もはや裸城だった。豊臣方五万五千は城を出て、天王寺口と岡山口に最後の布陣を敷く。対する徳川方は十五万五千。
- 開戦 毛利勝永、駆ける
正午、天王寺口で戦端が開かれた。毛利勝永隊は徳川先鋒を瞬く間に突き崩し、本多忠朝が討死。豊臣方の最後の力が、嵐のように吹き荒れる。
- 突撃 真田、駆ける
「狙うは家康の首ひとつ」。茶臼山の真田信繁(幸村)、赤備え三千五百が一直線に家康本陣へ突っ込んだ。馬印が倒れる――三方ヶ原以来、二度目の屈辱である。
- 三度目 三度の突撃
一度、二度、三度。赤い波が本陣を洗うたび、七十四歳の家康は死を覚悟したと伝わる。だが衆寡の差は、いかんともしがたい。
- 散花 日本一の兵、散る
力尽きた信繁は、安居神社の境内で静かに討たれた。「真田日本一の兵、古よりの物語にもこれなき由」――敵方の薩摩にそう言わしめた四十九年の生涯だった。
- 総崩れ 城へ崩れる
信繁の死とともに豊臣方は総崩れとなった。十五万の徳川軍が、退く敗兵を吞み込みながら大坂城へと殺到する。
- 落城 大坂城、炎上
夕刻、天守に火の手が上がった。翌日、秀頼と淀殿は山里曲輪で自害。豊臣家は滅び、応仁から百五十年続いた戦乱の世は、この炎とともに幕を下ろした――元和偃武である。
登場する武将・部隊
よくある質問
- 大坂夏の陣とは何ですか?
- 真田幸村、家康本陣へ三度の突撃。「日本一の兵」の散り際と大坂城炎上で、戦国の世が終わる。
- 大坂夏の陣はいつ・どこで起きましたか?
- 1615年、摂津国 天王寺・岡山(慶長二十年五月七日)で起きた合戦です。
- 大坂夏の陣では誰が戦いましたか?
- 豊臣軍の真田信繁(幸村)、徳川軍の徳川家康、徳川軍の徳川秀忠らが戦いました。
- 大坂夏の陣を3Dで見られますか?
- はい。このページで約3分の3D俯瞰演出として無料でご覧いただけます。布陣・軍勢の動き・勝敗の流れを直感的に追えます。
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