← 武将一覧へ

豊臣軍 ・ 毛利(森)

毛利勝永

もうり かつなが

大坂の名将おおさかのめいしょう

父とともに豊臣に仕えた大名だったが、関ヶ原で西軍に与して改易され、土佐に幽閉された。大坂の陣が起こると脱して入城し、豊臣方の中核を担う。夏の陣では本多忠朝ら徳川の諸隊を次々と打ち破り、家康本陣に迫る奮戦を見せた。真田幸村と並ぶ働きながら、その名は長く幸村の影に隠れた。落城とともに主君秀頼を介錯し、自刃した。

異名
「大坂の名将」
官位・役職
豊前守ぶぜんのかみ
領国・本拠
豊前 → 大坂
陣営
豊臣軍
生没
生年不詳–1615

生涯

  1. 慶長五年 改易 関ヶ原で西軍に属し、土佐に身柄を預けられた。
  2. 慶長二十年 大坂夏の陣 徳川の諸隊を突き崩し、家康本陣に迫る奮戦を見せた。
  3. 慶長二十年 秀頼に殉ず 落城に際し主君秀頼を介錯し、自刃して果てた。

この絵巻での足跡全1合戦

  1. 大坂夏の陣おおさかなつのじん 慶長二十年五月七日 摂津国 天王寺・岡山 天王寺口で徳川先鋒を次々と粉砕した知られざる名将。退き際も見事に殿軍を務めた。 兵力 4,000名 観る ▸

ゆかりの地

  • 大坂の陣・天王寺(大阪)