豊臣軍毛利(森)
毛利勝永
もうり かつなが
「大坂の名将」
生年不詳–1615
- 官位・役職
- 豊前守
- 領国・本拠
- 豊前 → 大坂
- 3Dで見られる合戦
- 1合戦
父とともに豊臣に仕えた大名だったが、関ヶ原で西軍に与して改易され、土佐に幽閉された。大坂の陣が起こると脱して入城し、豊臣方の中核を担う。夏の陣では本多忠朝ら徳川の諸隊を次々と打ち破り、家康本陣に迫る奮戦を見せた。真田幸村と並ぶ働きながら、その名は長く幸村の影に隠れた。落城とともに主君秀頼を介錯し、自刃した。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1600慶長五年
改易
関ヶ原で西軍に属し、土佐に身柄を預けられた。
- 1615慶長二十年
大坂夏の陣
徳川の諸隊を突き崩し、家康本陣に迫る奮戦を見せた。
大坂夏の陣 兵 4,000 3Dで見る › 天王寺口で徳川先鋒を次々と粉砕した知られざる名将。退き際も見事に殿軍を務めた。 PR『城塞(大坂の陣)』司馬遼太郎Amazonで見る
- 1615慶長二十年
秀頼に殉ず
落城に際し主君秀頼を介錯し、自刃して果てた。