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徳川軍 ・ 井伊

井伊直政

いい なおまさ

徳川四天王とくがわしてんのう / 井伊の赤備え」

今川に父を殺され流浪したが、家康に小姓として見出され若くして頭角を現した。武田の滅亡後はその遺臣を預けられ、朱一色の「井伊の赤備え」を編成して徳川随一の精鋭に育てる。外交・調略にも長け、関ヶ原では先陣を切り、退き口の島津を追撃して負った銃創がもとで戦の二年後に没した。

異名
「徳川四天王 / 井伊の赤備え」
官位・役職
兵部大輔ひょうぶのたいふ
領国・本拠
上野箕輪 → 近江佐和山
旗印・家紋
井伊橘 / 赤備え
陣営
徳川軍
生没
1561–1602(享年42)

生涯

  1. 天正十年 赤備えを継ぐ 武田遺臣を預かり、朱塗りの「井伊の赤備え」を編成した。
  2. 天正十二年 小牧・長久手 赤備えを率いて初陣級の働きを見せ、武名を上げた。
  3. 慶長五年 関ヶ原 先陣を駆け、退却する島津勢を追って深手を負った。
  4. 慶長七年 近江に没す 戦傷が癒えぬまま近江佐和山で世を去った。享年四十二。

この絵巻での足跡全2合戦

  1. 小牧・長久手の戦いこまき・ながくてのたたかい 天正十二年四月九日 尾張国 長久手 徳川の赤備えを率いる若き猛将。仏ヶ根で森長可の隊に鉄砲を浴びせ、その最期を導いた。 兵力 3,000名 観る ▸
  2. 関ヶ原の戦いせきがはらのたたかい 慶長五年九月十五日 美濃国 関ヶ原 抜け駆けの一番槍で開戦の火蓋を切り、終盤は退き口の島津勢を追撃して手傷を負った。 兵力 6,000名 観る ▸

ゆかりの地

  • 彦根城
  • 龍潭寺(井伊家菩提寺)
  • 関ヶ原古戦場