徳川軍井伊
井伊直政
いい なおまさ
「徳川四天王 / 井伊の赤備え」
1561–1602(享年42)
- 官位・役職
- 兵部大輔
- 領国・本拠
- 上野箕輪 → 近江佐和山
- 旗印・家紋
- 井伊橘 / 赤備え
- 3Dで見られる合戦
- 3合戦
肖像画・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
今川に父を殺され流浪したが、家康に小姓として見出され若くして頭角を現した。武田の滅亡後はその遺臣を預けられ、朱一色の「井伊の赤備え」を編成して徳川随一の精鋭に育てる。外交・調略にも長け、関ヶ原では先陣を切り、退き口の島津を追撃して負った銃創がもとで戦の二年後に没した。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1582天正十年
赤備えを継ぐ
武田遺臣を預かり、朱塗りの「井伊の赤備え」を編成した。
- 1584天正十二年
小牧・長久手
赤備えを率いて初陣級の働きを見せ、武名を上げた。
小牧・長久手の戦い 兵 3,000 3Dで見る › 徳川の赤備えを率いる若き猛将。仏ヶ根で森長可の隊に鉄砲を浴びせ、その最期を導いた。 PR「小牧・長久手の戦い」の本を探す楽天で探す
- 1585天正十三年
第一次上田合戦
上田の敗報を受け、大須賀康高・松平康重らとともに後詰めとして送られた徳川の援軍。だが丸子城も上田城も抜けず、戦は動かなかった。
信濃国 上田 兵 5,000 3Dで見る › PR「第一次上田合戦」の本を探す楽天で探す
- 1600慶長五年
- 1602慶長七年
近江に没す
戦傷が癒えぬまま近江佐和山で世を去った。享年四十二。