寧々(ねね)の肖像

豊臣杉原 → 豊臣

寧々(ねね)

ねね

「北政所」

1548–1624(享年77)

官位・役職
従一位(高台院)
領国・本拠
大坂 → 京
旗印・家紋
五七桐
3Dで見られる合戦
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肖像画・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

尾張の武家・杉原氏の娘で、まだ木下藤吉郎と名乗った足軽時代の秀吉と、恋愛の末に結ばれたと伝わる。子はなかったが、加藤清正・福島正則ら秀吉子飼いの武将を我が子のように育て、その信望は厚かった。秀吉の出世とともに「北政所」と称され、朝廷から高い位を賜る。天下人の妻として大坂城の奥を束ねたが、秀吉の死後は淀殿と距離を置き、京に移って「高台院」と号した。大坂の陣で豊臣家が滅んだ後も生き、その菩提を静かに弔い続けた。

生涯と合戦

  1. 1561永禄四年

    藤吉郎に嫁ぐ

    足軽・木下藤吉郎(秀吉)と恋愛の末に結ばれた。

  2. 1585天正十三年

    北政所

    秀吉の関白就任に伴い、朝廷から高い位を受けた。

  3. 1598慶長三年

    秀吉の死

    夫の死後、髪を下ろして高台院と号した。

  4. 1624寛永元年

    京に没す

    大坂落城の後も生き、豊臣家の菩提を弔った。

ゆかりの地

よくある質問

寧々(ねね)とはどんな人物ですか?

豊臣秀吉の正室「北政所」です。まだ足軽だった秀吉と恋愛の末に結ばれ、加藤清正・福島正則ら子飼いの武将を我が子のように育てました。秀吉の死後は「高台院」と号しました。2026年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』にも登場します。

ねねと淀殿の違いは?

ねねは秀吉の正室(北政所)、淀殿は秀頼を生んだ側室です。秀吉の死後、二人は立場をめぐって距離を置いたと伝わります。

ねねはどんな最期でしたか?

大坂の陣で豊臣家が滅んだ後も京で生き続け、寛永元年(1624年)に没しました。晩年は高台寺で豊臣家の菩提を静かに弔いました。

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