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豊臣軍 ・ 羽柴 → 豊臣

豊臣秀長

とよとみ ひでなが

「大和大納言」

羽柴秀吉の弟として尾張中村に生まれ、農民から身を起こした兄に早くから付き従った。派手な武功よりも、調略・内政・兵站、そして諸将の調整に非凡な才を見せ、兄の天下取りを影で支え続ける。中国攻めでは但馬・因幡を平らげ、天正十三年の四国攻めでは総大将として長宗我部元親を降し、九州攻めでは日向方面を率いて根白坂に島津勢を破った。温厚篤実な人柄は敵味方から信を集め、大和・紀伊・和泉に約百万石を領して大和郡山城を本拠とする。秀吉と気位の高い大名たちのあいだに立つ「調整役」として政権を安定させたが、天正十九年に病没。「もし秀長が生きていれば」と惜しまれるほど、その死は豊臣家のほころびの起点となった。2026年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』は、この「天下一の補佐役」秀長を主人公に据えた物語である。

異名
「大和大納言」
官位・役職
従二位 権大納言
領国・本拠
大和・紀伊・和泉(郡山城)
旗印・家紋
五七桐
陣営
豊臣軍
生没
1540–1591(享年52)

生涯

  1. 天文九年 誕生 尾張中村に、のちの秀吉の弟として生まれたと伝わる。
  2. 天正五年 中国攻め 兄の中国方面軍に従い、但馬・因幡などの平定で戦功を重ねた。
  3. 天正十一年 賤ヶ岳 兄が柴田勝家を破った賤ヶ岳に加わり、覇権の確立を支えた。
  4. 天正十三年 四国攻め・大和大納言 四国攻めの総大将を務め、紀伊・大和を加増され郡山城主となる。
  5. 天正十五年 九州攻め・根白坂 九州攻めで日向方面を率い、根白坂の戦いで島津勢を破った。
  6. 天正十九年 病没 郡山城で病没。補佐役を失った豊臣政権は調整力を欠いていく。

この絵巻での足跡全5合戦

  1. 鳥取城の戦いとっとりじょうのたたかい 天正九年 因幡国 鳥取城 秀吉の弟。但馬を平らげて因幡へ入り、西面を固めて毛利後詰の道を塞いだ。兄を支えた地味だが確かな一手。 兵力 6,000名 観る ▸
  2. 山崎の戦いやまざきのたたかい 天正十年六月十三日 山城国 山崎 本能寺の変から十一日。中国大返しで戻った秀吉が、雨の天王山で明智光秀の「三日天下」を終わらせた。 観る ▸
  3. 賤ヶ岳の戦いしずがたけのたたかい 天正十一年四月二十一日 近江国 賤ヶ岳 夜を徹した美濃大返し、七本槍の追撃、前田利家の離脱。信長の後継者を決めた湖北の決戦。 観る ▸
  4. 小牧・長久手の戦いこまき・ながくてのたたかい 天正十二年四月九日 尾張国 長久手 三河へ向かう秀吉の別働隊を、家康が夜を徹して追い、長久手に討つ。秀吉が唯一、家康に挑まれた戦い。 観る ▸
  5. 四国攻めしこくぜめ 天正十三年 阿波国 一宮城 四国攻めの総大将。兄に代わって渡海軍を率い、一宮城を力攻めせず水の手を断って落とした。補佐役の真骨頂を見せた一戦。 兵力 25,000名 ・ 総大将 観る ▸

ゆかりの地

  • 大和郡山城跡(奈良)
  • 大納言塚(大和郡山)
  • 春岳院(奈良)

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