鳥取城の戦いの解説
鳥取城の戦いは、1581年(天正九年)に因幡国 鳥取城で行われた合戦です。「鳥取城の渇え殺し」。羽柴秀吉が吉川経家の籠る鳥取城を付城で囲み、因幡の米を買い占めて兵糧を断った。四月に及ぶ飢餓の末、経家は城兵の助命と引き換えに自刃した。
- 年
- 1581年(天正九年)
- 場所
- 因幡国 鳥取城
- 時代
- 安土桃山時代
合戦の経過
- 城将 経家、死地へ入る
天正九年、因幡鳥取城。城主山名豊国が織田に通じたため、これを嫌う家臣が城を固めて毛利を頼んだ。毛利は石見の名族・吉川経家を城将に送り込む。経家は棺桶を担いで入城したという――はじめから、死ぬ覚悟であった。
- 包囲 太閤ヶ平の陣
羽柴秀吉が因幡へ寄せ、城と向き合う尾根「太閤ヶ平」に本陣を築いた。久松山を取り巻いて付城を連ね、堀と柵で結んで蟻の這い出る隙も塞ぐ。しかも秀吉は――戦う前に、因幡じゅうの米を高値で買い占めていた。
- 渇え殺し 鳥取の渇え殺し
兵糧は瞬く間に底をついた。城には兵だけでなく、追い立てられた領民までが逃げ込んでいる。日を追うごとに飢えが人を蝕み、後に「鳥取の渇え殺し」と呼ばれる兵糧攻めが、静かに城を締め上げていった。
- 後詰 毛利、届かず
吉川元春が後巻きに駆け、毛利水軍は海路から賀露へ兵糧を入れんとした。だが千代川の河口も、城へ通じる道も、ことごとく秀吉に封じられている。援けは目前で阻まれ、城へは米一粒届かなかった。
- 飢餓 地獄の城
城内はもはや地獄の様相であった。牛馬も草木も食い尽くされ、飢えた人々が柵際に群れて助けを乞う。宣教師すら書き残すその惨状の前に、経家はついに、己の一命で城の全てを購う覚悟を決める。
- 自刃 経家、腹を切る
十月廿五日。吉川経家は、城兵と領民すべての助命を条件に、従容として腹を切った。享年三十五。秀吉はその覚悟を惜しみ、遺骸を丁重に送ったという。四月に及ぶ渇え殺しは、城将ひとりの死をもって幕を閉じた。
登場する武将・部隊
よくある質問
- 鳥取城の戦いとは何ですか?
- 「鳥取城の渇え殺し」。羽柴秀吉が吉川経家の籠る鳥取城を付城で囲み、因幡の米を買い占めて兵糧を断った。四月に及ぶ飢餓の末、経家は城兵の助命と引き換えに自刃した。
- 鳥取城の戦いはいつ・どこで起きましたか?
- 1581年、因幡国 鳥取城(天正九年)で起きた合戦です。
- 鳥取城の戦いでは誰が戦いましたか?
- 毛利方の吉川経家、羽柴軍の羽柴秀吉らが戦いました。
- 鳥取城の戦いを3Dで見られますか?
- はい。このページで約3分の3D俯瞰演出として無料でご覧いただけます。布陣・軍勢の動き・勝敗の流れを直感的に追えます。