毛利方 ・ 吉川(石見)
吉川経家
きっかわ つねいえ
石見の名族・石見吉川氏の当主。毛利氏の求めに応じ、織田に囲まれた因幡鳥取城の城将として入城した。死を覚悟し、棺を担いで城へ入ったと伝わる。羽柴秀吉の徹底した兵糧攻め――因幡の米を買い占め、付城で完全に包囲する「鳥取の渇え殺し」に、城兵・領民とともに四月に及ぶ飢餓を耐え抜いた。だが惨状が極まると、経家は城内すべての者の助命を条件に、己の一命を差し出す。天正九年十月、従容として腹を切った。享年三十五。その覚悟を、敵将秀吉すらも深く惜しんだという。
- 領国・本拠
- 石見(福光) → 因幡・鳥取城
- 陣営
- 毛利方
- 生没
- 1547–1581(享年35)
生涯
- 天正九年 鳥取城へ入る 毛利の求めに応じ、死を覚悟して鳥取城の城将となった。
- 天正九年 渇え殺し 秀吉の兵糧攻めに、城兵・領民とともに四月の飢餓を耐えた。
- 天正九年 自刃 城内すべての助命と引き換えに、十月に腹を切った。享年三十五。
この絵巻での足跡全1合戦
ゆかりの地
- 鳥取城跡・久松山(鳥取市)
- 吉川経家公之像(鳥取市)