三木合戦の解説
三木合戦は、1578年(天正六年〜八年)に播磨国 三木城で行われた合戦です。「三木の干殺し」。羽柴秀吉が別所長治の三木城を四十余の付城で囲み、一年十ヵ月の兵糧攻めに追い込んだ。陣中には軍師・竹中半兵衛が没した。
- 年
- 1578年(天正六年〜八年)
- 場所
- 播磨国 三木城
- 時代
- 安土桃山時代
合戦の経過
- 離反 別所、織田に背く
天正六年三月、東播磨の名族・別所長治が織田に反旗を翻した。三木城に毛利の旗が翻り、周辺の反織田勢力がこれに呼応する。中国攻めを進める羽柴秀吉は、いきなり背後を断たれた。
- 包囲 四十の付城
秀吉は力攻めを避けた。三木城を取り巻いて四十余りの付城を築き、堀と柵で結んで蟻の這い出る隙もなく封じる。平井山に本陣を据え、城へ通じる兵糧の道をことごとく断った。
- 干殺し 三木の干殺し
城を巻く付城の輪が、ひと月ふた月と城を締め上げていく。後に「三木の干殺し」と呼ばれる兵糧攻め。城内ではやがて牛馬も草木も食い尽くされ、飢えが将兵を蝕んでいった。
- 平井山 平井山の攻防
たまらず別所方が打って出る。秀吉の本陣平井山へ夜討ちをかけるが、谷大膳ら寄手が身を挺してこれを支え、撃退した。だが――勝った羽柴軍にも、静かな別れが訪れていた。
- 半兵衛 さらば半兵衛
軍師・竹中半兵衛、陣没。労咳に侵された「今孔明」は、三木の陣中で三十六年の生涯を閉じた。秀吉は片腕を失う。海路からの毛利の兵糧搬入もまた断たれ、城の望みは尽きていく。
- 開城 長治、城兵に代わる
天正八年正月。もはやこれまでと悟った別所長治は、城兵と領民すべての助命を条件に、一族とともに自刃して果てた。一年十ヵ月に及んだ籠城は、こうして静かに幕を閉じた。
登場する武将・部隊
よくある質問
- 三木合戦とは何ですか?
- 「三木の干殺し」。羽柴秀吉が別所長治の三木城を四十余の付城で囲み、一年十ヵ月の兵糧攻めに追い込んだ。陣中には軍師・竹中半兵衛が没した。
- 三木合戦はいつ・どこで起きましたか?
- 1578年、播磨国 三木城(天正六年〜八年)で起きた合戦です。
- 三木合戦では誰が戦いましたか?
- 別所軍の別所長治、羽柴軍の羽柴秀吉らが戦いました。
- 三木合戦を3Dで見られますか?
- はい。このページで約3分の3D俯瞰演出として無料でご覧いただけます。布陣・軍勢の動き・勝敗の流れを直感的に追えます。
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