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毛利軍 ・ 吉川(毛利)

吉川元春

きっかわ もとはる

「毛利両川」

毛利元就の次男として吉川家を継ぎ、弟隆景とともに「毛利両川」として本家を支えた。剛勇をもって山陰方面を任され、月山富田城の攻略や尼子再興軍との死闘を制する。厳島の戦いにも父とともに臨んだ。秀吉の中国攻めに抗し、九州征伐の陣中で病没した。『太平記』を自ら筆写した文人でもあった。

異名
「毛利両川」
官位・役職
駿河守するがのかみ
領国・本拠
安芸 → 出雲・伯耆
旗印・家紋
丸に三つ引両
陣営
毛利軍
生没
1530–1586(享年57)

生涯

  1. 弘治元年 厳島の戦い 父元就のもと、陶晴賢を討つ奇襲に加わった。
  2. 永禄九年 尼子を下す 月山富田城を落とし、山陰平定を成し遂げた。
  3. 天正十四年 九州に没す 秀吉の九州征伐に従軍中、陣中で病没した。

この絵巻での足跡全3合戦

  1. 厳島の戦いいつくしまのたたかい 弘治元年十月一日 安芸国 厳島 元就の次男「鬼吉川」。本隊の右翼として尾根を駆け下り、塔の岡の北面に突き入った。 兵力 1,500名 観る ▸
  2. 鳥取城の戦いとっとりじょうのたたかい 天正九年 因幡国 鳥取城 毛利両川の武将。後巻きに駆けつけ、海陸から城を援けんとしたが、秀吉の完璧な封鎖に阻まれ、ついに城へ届かなかった。 兵力 8,000名 観る ▸
  3. 備中高松城の水攻めびっちゅうたかまつじょうのみずぜめ 天正十年 備中国 高松城 毛利両川の一、武の元春。湖の対岸で水際まで詰めたが、堤と水に阻まれて手を出せなかった。 兵力 10,000名 観る ▸

ゆかりの地

  • 吉川元春館跡(北広島町)