吉川元春の肖像

毛利軍吉川(毛利)

吉川元春

きっかわ もとはる

「毛利両川」

1530–1586(享年57)

官位・役職
駿河守するがのかみ
領国・本拠
安芸 → 出雲・伯耆
旗印・家紋
丸に三つ引両
3Dで見られる合戦
3合戦

肖像画・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

毛利元就の次男として吉川家を継ぎ、弟隆景とともに「毛利両川」として本家を支えた。剛勇をもって山陰方面を任され、月山富田城の攻略や尼子再興軍との死闘を制する。厳島の戦いにも父とともに臨んだ。秀吉の中国攻めに抗し、九州征伐の陣中で病没した。『太平記』を自ら筆写した文人でもあった。

生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦

  1. 1555弘治元年
  2. 1566永禄九年

    尼子を下す

    月山富田城を落とし、山陰平定を成し遂げた。

  3. 1581天正九年

    鳥取城の戦い

    毛利両川の武将。後巻きに駆けつけ、海陸から城を援けんとしたが、秀吉の完璧な封鎖に阻まれ、ついに城へ届かなかった。

    因幡国 鳥取城 兵 8,000 3Dで見る ›

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  4. 1582天正十年

    備中高松城の水攻め

    毛利両川の一、武の元春。湖の対岸で水際まで詰めたが、堤と水に阻まれて手を出せなかった。

    備中国 高松城 兵 10,000 3Dで見る ›

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  5. 1586天正十四年

    九州に没す

    秀吉の九州征伐に従軍中、陣中で病没した。

ゆかりの地

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