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島津軍 ・ 島津

島津家久

しまづ いえひさ

釣り野伏せの名手つりのぶせのめいしゅ

島津四兄弟の末弟で、軍法戦術の妙において兄弟随一と謳われた。得意の「釣り野伏せ」で寡兵をもって大軍を翻弄し、沖田畷では五州二島の太守・龍造寺隆信を討ち取る。九州征伐に際しても戸次川で豊臣方を大破した。だが九州平定の直後、若くして急死した。

異名
「釣り野伏せの名手」
官位・役職
中務大輔なかつかさのたいふ
領国・本拠
薩摩・日向
旗印・家紋
丸に十字
陣営
島津軍
生没
1547–1587(享年41)

生涯

  1. 天正六年 耳川の戦い 兄たちとともに大友の大軍を釣り野伏せに沈めた。
  2. 天正十二年 沖田畷 龍造寺隆信を泥田の罠に誘い込み、討ち取った。
  3. 天正十四年 戸次川の戦い 豊臣方を釣り野伏せで大破し、武名を轟かせた。

この絵巻での足跡全2合戦

  1. 耳川の戦いみみがわのたたかい 天正六年十一月十二日 日向国 高城川原 「軍法戦術に妙を得たり」と評された末弟。西の丘に潜み、伏兵の左翼を率いて躍り出た。 兵力 3,000名 観る ▸
  2. 沖田畷の戦いおきたなわてのたたかい 天正十二年三月二十四日 肥前国 島原 島津四兄弟の末弟にして釣り野伏せの名手。みずから囮となって退き、龍造寺の大軍を畷の罠へ引き込んだ。 兵力 3,000名 ・ 総大将 観る ▸

ゆかりの地

  • 沖田畷古戦場(島原)
  • 鹿児島