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毛利方 ・ 清水

清水宗治

しみず むねはる

「武士の鑑」

毛利氏に属した備中の将で、要衝・高松城を預かった。秀吉の中国攻めでは、足守川を堰き止める前代未聞の「水攻め」に城ごと水没させられても、城兵とともによく耐え抜いた。だが本能寺の変の直後、明智討伐を急ぐ秀吉は毛利との和睦を急ぎ、宗治ひとりの命を講和の条件とする。宗治はこれを潔く受け、城兵すべての助命と引き換えに、湖上へ漕ぎ出した小舟の上で舞を一さし舞い、従容として腹を切った。その見事な最期は敵将秀吉をも嘆かせ、後世「武士の鑑」と讃えられた。

異名
「武士の鑑」
官位・役職
長左衛門尉
領国・本拠
備中(高松城)
陣営
毛利方
生没
1537–1582(享年46)

浮世をば 今こそ渡れ もののふの 名を高松の 苔に残して

清水宗治 辞世

生涯

  1. 天正三年 高松城主 毛利方の備中の要として、高松城を預かった。
  2. 天正十年 水攻めに耐える 秀吉の堤に城を水没させられても、城兵とともに籠城を続けた。
  3. 天正十年 湖上に散る 本能寺後の和睦で、城兵の助命と引き換えに湖上の小舟で舞い、自刃した。

この絵巻での足跡全1合戦

  1. 備中高松城の水攻めびっちゅうたかまつじょうのみずぜめ 天正十年 備中国 高松城 高松城主。水攻めに耐えたが、城兵すべての助命と引き換えに、湖上の小舟で舞を舞い自刃した。「武士の鑑」と讃えられる。 兵力 5,000名 ・ 総大将 観る ▸

ゆかりの地

  • 備中高松城跡(岡山)
  • 清水宗治公首塚(岡山)