← 武将一覧へ

上杉軍 ・ 上杉(長尾)

上杉景勝

うえすぎ かげかつ

五大老ごたいろう

謙信の養子(姉の子)で、御館の乱を制して上杉家を継いだ。生涯に数えるほどしか笑わなかったと伝わる寡黙剛毅の将。秀吉に従って五大老に列し、会津百二十万石を領する。秀吉没後、家康の上洛要求を直江兼続の「直江状」で拒み、これが関ヶ原の直接の引き金となった。敗後は米沢三十万石に減じられても家を守り抜いた。

異名
「五大老」
官位・役職
中納言ちゅうなごん
領国・本拠
越後 → 会津 → 米沢
旗印・家紋
上杉笹
陣営
上杉軍
生没
1556–1623(享年68)

生涯

  1. 天正六年 御館の乱 家督を争う内乱を制し、上杉家の当主となった。
  2. 慶長三年 会津百二十万石 秀吉に転封され、五大老の一人として重きをなした。
  3. 慶長五年 関ヶ原の引き金 直江状で家康に抗し、東西対決の発端となった。
  4. 慶長六年 米沢へ 戦後に減封されるも、米沢で家名を保ち続けた。

この絵巻での足跡全1合戦

  1. 手取川の戦いてどりがわのたたかい 天正五年九月二十三日 加賀国 手取川 謙信の養子。本隊の右翼として川の東側を駆け下り、退路を断つように織田勢へ食い込んだ。 兵力 4,000名 観る ▸

ゆかりの地

  • 春日山城跡
  • 米沢城・上杉神社