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西軍 ・ 宇喜多

宇喜多秀家

うきた ひでいえ

五大老の最年少ごたいろうのさいねんしょう

父直家の死後に幼くして家督を継ぎ、秀吉の猶子として寵愛を受けて五大老に列した。関ヶ原では一万七千の西軍最大の一隊を率い、福島正則と一日激闘を演じる。敗れて薩摩へ落ち、のち八丈島へ流された。配流の身ながら八十四歳まで生き、関ヶ原の生き証人として長い余生を送った。

異名
「五大老の最年少」
官位・役職
中納言ちゅうなごん
領国・本拠
備前岡山
旗印・家紋
「児」文字
陣営
西軍
生没
1572–1655(享年84)

生涯

  1. 天正十年 家督相続 父直家の死により、幼くして宇喜多家を継いだ。
  2. 慶長二年 五大老 秀吉の信任厚く、最年少で五大老の一人に列した。
  3. 慶長五年 関ヶ原 西軍最大の一隊を率い、福島隊と死闘を演じた。
  4. 慶長十一年 八丈島へ 流刑となり、以後五十年を八丈島で生き抜いた。

この絵巻での足跡全1合戦

  1. 関ヶ原の戦いせきがはらのたたかい 慶長五年九月十五日 美濃国 関ヶ原 西軍最大の一万七千を率いて福島隊と死闘を演じたが、寝返りで側面を突かれ潰走した。 兵力 17,000名 観る ▸

ゆかりの地

  • 岡山城
  • 八丈島