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定軍山の戦い

後漢 建安二十四年

午前6:00 対峙
東軍 西軍 寝返り

定軍山の戦い
合戦データを読み込み中

定軍山の戦いていぐんざんのたたかいの解説

定軍山の戦いは、219年(後漢 建安二十四年)に益州 漢中 定軍山で行われた合戦です。漢中を争う劉備と曹操。法正の策で定軍山の高みを取った劉備軍は、老将黄忠が山を駆け下って魏の大将夏侯淵を討ち取った。曹操は「鶏肋」と漏らして漢中を捨て、劉備は漢中王となる。

年
219年後漢 建安二十四年
場所
益州 漢中 定軍山
時代
後漢末(三国志)

両軍の対陣

劉備軍 総大将劉備 41,5004隊
曹操軍 総大将夏侯淵 83,0004隊

兵力の内訳3Dに登場する部隊の合計

劉備軍

戦った 41,500

曹操軍

戦った 83,000

劉備軍兵の多い順

曹操軍兵の多い順

肖像画は Wikimedia Commons のパブリックドメインの画像です(後世に描かれた想像図を含みます)。

合戦の経過時刻は3Dの時計

  1. 建安二十三年1章

    対峙陽平関、一年の膠着

    建安二十三年、益州を得た劉備は漢中を奪うべく北上し、曹操の大将夏侯淵が守る陽平関に迫った。だが関は堅く、張郃・徐晃らの守りも固い。両軍は一年近く睨み合い、劉備は成都の諸葛亮に「男は戦い、女は運べ」と総動員を求めた。

  2. 二十四年 正月2章

    渡河法正の策、定軍山へ

    正面攻撃を諦めた劉備は、軍師法正の献策を容れて夜陰に漢水を渡り、南岸の定軍山に陣を移した。定軍山は夏侯淵の本営を見下ろす高み。淵は不意を突かれ、山の麓の南囲と東囲に軍を分けて対峙せざるを得なくなった。

  3. 正月 夜3章

    鹿角走馬谷の火

    正月、劉備は夜襲をかけて張郃の東囲を攻め、同時に南囲の鹿角(逆茂木)を焼き払った。張郃が苦戦すると、夏侯淵は自軍の半分を割いて張郃を救援に向かわせ、自らは四百の兵で焼けた鹿角の修理に出た。大将が最前線に立ったのである。

  4. 正月 払暁4章

    黄忠老将、山を駆け下る

    定軍山の高みから法正がそれを見た。旗を振る合図とともに、黄忠が太鼓と鬨の声を轟かせて山を駆け下った。六十を過ぎた老将は先頭に立って敵陣に躍り込み、鹿角の修理に出ていた夏侯淵をその場で斬り伏せた。益州刺史の趙顒も討たれ、魏の南囲は崩壊した。

  5. 正月 昼5章

    張郃張郃、軍を収む

    大将を失った魏軍は動揺した。郭淮ら諸将は張郃を推して軍を統率させ、漢水の北岸に退いて陣を固める。劉備は「討つべきは張郃であった。淵など何ほどのことがあろう」と漏らしたという。

  6. 三月6章

    漢水曹操の来援と趙雲の空営

    三月、曹操が自ら長安から斜谷を越えて漢中に入った。劉備は険に拠って守り、決して戦わない。北山の兵糧を奪おうとした趙雲は魏の大軍に囲まれたが、営門を開け放って旗を伏せる空営の計で敵を退け、追撃して大勝した。曹操は「子龍は一身これ胆なり」と嘆じた。

  7. 五月7章

    鶏肋漢中王

    兵糧は尽き、脱走兵は日ごとに増える。曹操は「鶏肋」と漏らした——食べる所は少ないが、捨てるには惜しい。五月、曹操は漢中を捨てて長安へ退いた。七月、劉備は沔陽で漢中王を称する。三国鼎立の形が、ここに定まった。

超精密3Dで見ると合戦パスの特典

定軍山の戦いの3D(標準の画質)
定軍山の戦い(超精密3D)

同じ場面を、標準の画質と超精密3Dで並べました。線を左右に動かして見比べられ、「引き」と「接近」で見え方を切り替えられます。超精密3Dでは、山肌の尾根と谷、3Dの森と岩、海や川の水面、田畑の筋、人の姿の兵まで精密に描きます。各合戦の1章目は、合戦パスが無くても超精密3Dで見られます。

よくある質問

定軍山の戦いとは何ですか?

漢中を争う劉備と曹操。法正の策で定軍山の高みを取った劉備軍は、老将黄忠が山を駆け下って魏の大将夏侯淵を討ち取った。曹操は「鶏肋」と漏らして漢中を捨て、劉備は漢中王となる。

定軍山の戦いはいつ・どこで起きましたか?

219年、益州 漢中 定軍山(後漢 建安二十四年)で起きた合戦です。

定軍山の戦いでは誰が戦いましたか?

劉備軍の劉備、曹操軍の夏侯淵らが戦いました。

定軍山の戦いを3Dで見られますか?

はい。このページで約3分の3D俯瞰演出として無料でご覧いただけます。布陣・軍勢の動き・勝敗の流れを直感的に追えます。

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