定軍山の戦いの解説
定軍山の戦いは、219年(後漢 建安二十四年)に益州 漢中 定軍山で行われた合戦です。漢中を争う劉備と曹操。法正の策で定軍山の高みを取った劉備軍は、老将黄忠が山を駆け下って魏の大将夏侯淵を討ち取った。曹操は「鶏肋」と漏らして漢中を捨て、劉備は漢中王となる。
- 年
- 219年後漢 建安二十四年
- 場所
- 益州 漢中 定軍山
- 時代
- 後漢末(三国志)
両軍の対陣
合戦の経過時刻は3Dの時計
- 建安二十三年1章
対峙陽平関、一年の膠着
建安二十三年、益州を得た劉備は漢中を奪うべく北上し、曹操の大将夏侯淵が守る陽平関に迫った。だが関は堅く、張郃・徐晃らの守りも固い。両軍は一年近く睨み合い、劉備は成都の諸葛亮に「男は戦い、女は運べ」と総動員を求めた。
- 二十四年 正月2章
渡河法正の策、定軍山へ
正面攻撃を諦めた劉備は、軍師法正の献策を容れて夜陰に漢水を渡り、南岸の定軍山に陣を移した。定軍山は夏侯淵の本営を見下ろす高み。淵は不意を突かれ、山の麓の南囲と東囲に軍を分けて対峙せざるを得なくなった。
- 正月 夜3章
鹿角走馬谷の火
正月、劉備は夜襲をかけて張郃の東囲を攻め、同時に南囲の鹿角(逆茂木)を焼き払った。張郃が苦戦すると、夏侯淵は自軍の半分を割いて張郃を救援に向かわせ、自らは四百の兵で焼けた鹿角の修理に出た。大将が最前線に立ったのである。
- 正月 払暁4章
黄忠老将、山を駆け下る
定軍山の高みから法正がそれを見た。旗を振る合図とともに、黄忠が太鼓と鬨の声を轟かせて山を駆け下った。六十を過ぎた老将は先頭に立って敵陣に躍り込み、鹿角の修理に出ていた夏侯淵をその場で斬り伏せた。益州刺史の趙顒も討たれ、魏の南囲は崩壊した。
- 正月 昼5章
張郃張郃、軍を収む
大将を失った魏軍は動揺した。郭淮ら諸将は張郃を推して軍を統率させ、漢水の北岸に退いて陣を固める。劉備は「討つべきは張郃であった。淵など何ほどのことがあろう」と漏らしたという。
- 三月6章
漢水曹操の来援と趙雲の空営
三月、曹操が自ら長安から斜谷を越えて漢中に入った。劉備は険に拠って守り、決して戦わない。北山の兵糧を奪おうとした趙雲は魏の大軍に囲まれたが、営門を開け放って旗を伏せる空営の計で敵を退け、追撃して大勝した。曹操は「子龍は一身これ胆なり」と嘆じた。
- 五月7章
鶏肋漢中王
兵糧は尽き、脱走兵は日ごとに増える。曹操は「鶏肋」と漏らした——食べる所は少ないが、捨てるには惜しい。五月、曹操は漢中を捨てて長安へ退いた。七月、劉備は沔陽で漢中王を称する。三国鼎立の形が、ここに定まった。
超精密3Dで見ると合戦パスの特典

同じ場面を、標準の画質と超精密3Dで並べました。線を左右に動かして見比べられ、「引き」と「接近」で見え方を切り替えられます。超精密3Dでは、山肌の尾根と谷、3Dの森と岩、海や川の水面、田畑の筋、人の姿の兵まで精密に描きます。各合戦の1章目は、合戦パスが無くても超精密3Dで見られます。
よくある質問
定軍山の戦いとは何ですか?
漢中を争う劉備と曹操。法正の策で定軍山の高みを取った劉備軍は、老将黄忠が山を駆け下って魏の大将夏侯淵を討ち取った。曹操は「鶏肋」と漏らして漢中を捨て、劉備は漢中王となる。
定軍山の戦いはいつ・どこで起きましたか?
219年、益州 漢中 定軍山(後漢 建安二十四年)で起きた合戦です。
定軍山の戦いでは誰が戦いましたか?
劉備軍の劉備、曹操軍の夏侯淵らが戦いました。
定軍山の戦いを3Dで見られますか?
はい。このページで約3分の3D俯瞰演出として無料でご覧いただけます。布陣・軍勢の動き・勝敗の流れを直感的に追えます。
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