人取橋の戦いの解説
人取橋の戦いは、1585年(天正十三年十一月十七日)に陸奥国 安達郡(人取橋)で行われた合戦です。二本松攻めの最中、伊達政宗七千が佐竹・蘆名連合三万に包囲され窮地に。老臣・鬼庭左月斎の殿の奮死と連合軍の撤退で、政宗が九死に一生を得た若き日最大の危機。
- 年
- 1585年(天正十三年十一月十七日)
- 場所
- 陸奥国 安達郡(人取橋)
- 時代
- 安土桃山時代
合戦の経過
- 来襲 連合軍、三万
天正十三年十一月、二本松攻めを進める伊達政宗のもとへ、佐竹義重・蘆名らの連合軍三万が押し寄せた。迎え撃つ政宗の手勢は、わずか七千余。本宮の地で、両軍は対峙する。
- 包囲 橋を渡る大軍
連合軍は人取橋を渡り、四方から伊達勢を押し包んだ。数の差はいかんともしがたく、伊達の各隊は次々と崩れ、政宗自身にも銃弾がかすめる。若き独眼竜、最大の窮地であった。
- 殿 鬼庭左月斎、進み出る
本隊が崩れかけたその時、七十をこえた老臣・鬼庭左月斎良直が殿を買って出た。金の采配を振り、寡兵を率いて人取橋の際に踏みとどまる。「殿は、この左月が引き受け申す」。
- 奮死 左月斎、討死
左月斎は身を挺して連合軍の奔流を食い止め、奮戦の末に討死した。だがその命がけの時間稼ぎが、政宗本隊の崩壊を押しとどめる。老将の死が、主君を救ったのである。
- 踏みとどまる 成実・景綱、支える
伊達成実と片倉景綱が乱戦の中で戦線を繋ぎ止め、政宗を後方へ退かせながら日没まで持ちこたえた。あと一押しで壊滅という淵で、伊達は辛うじて崩れなかった。
- 撤退 夜、連合軍去る
勝利目前と見えた夜半、連合軍は突如として兵を退いた。佐竹領で背後を脅かす動きがあり、義重が帰国を迫られたためと伝わる。三万の大軍は、勝ちを収めきる前に去った。
- 生還 独眼竜、生き延びる
九死に一生を得た政宗は、崩壊寸前の危機を切り抜けた。この一戦を生き延びたことが、四年後の摺上原での南奥州制覇へとつながっていく。左月斎の忠死は、伊達家に長く語り継がれた。
登場する武将・部隊
よくある質問
- 人取橋の戦いとは何ですか?
- 二本松攻めの最中、伊達政宗七千が佐竹・蘆名連合三万に包囲され窮地に。老臣・鬼庭左月斎の殿の奮死と連合軍の撤退で、政宗が九死に一生を得た若き日最大の危機。
- 人取橋の戦いはいつ・どこで起きましたか?
- 1585年、陸奥国 安達郡(人取橋)(天正十三年十一月十七日)で起きた合戦です。
- 人取橋の戦いでは誰が戦いましたか?
- 伊達軍の伊達政宗、佐竹・蘆名連合軍の佐竹義重らが戦いました。
- 人取橋の戦いを3Dで見られますか?
- はい。このページで約3分の3D俯瞰演出として無料でご覧いただけます。布陣・軍勢の動き・勝敗の流れを直感的に追えます。