蘆名蘆名(佐竹出身)

蘆名義広

あしな よしひろ

1575–1631(享年57)

官位・役職
会津守護(黒川城主)
領国・本拠
会津(黒川城)
旗印・家紋
丸に三引両
3Dで見られる合戦
1合戦

常陸の佐竹義重の次男に生まれ、蘆名盛隆の死後に絶えかけた会津の名門蘆名家へ養子として迎えられた。だが佐竹系と蘆名譜代の家臣団は反目し、若い当主の権威は定まらぬままだった。天正十七年、伊達政宗の侵攻に対し猪苗代盛国の内応を許して摺上原で決戦に及ぶも大敗。日橋川に多くの将兵を失い、本拠黒川城を捨てて実家の常陸へ落ちた。四百年にわたり会津に君臨した蘆名氏は、ここに戦国大名として滅んだ。義広はのち佐竹家中で出羽角館に移り、江戸初期まで生きた。

生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦

  1. 1587天正十五年

    蘆名を継ぐ

    佐竹から会津の名門蘆名家へ養子に入り、家督を継いだ。

  2. 1589天正十七年
  3. 1590天正十八年

    蘆名氏の滅亡

    秀吉の奥州仕置でも旧領回復は叶わず、大名蘆名氏は消えた。

  4. 1631寛永八年

    没

    佐竹家中で出羽角館に移り、晩年を過ごした。

ゆかりの地

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