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蘆名 ・ 蘆名(佐竹出身)

蘆名義広

あしな よしひろ

常陸の佐竹義重の次男に生まれ、蘆名盛隆の死後に絶えかけた会津の名門蘆名家へ養子として迎えられた。だが佐竹系と蘆名譜代の家臣団は反目し、若い当主の権威は定まらぬままだった。天正十七年、伊達政宗の侵攻に対し猪苗代盛国の内応を許して摺上原で決戦に及ぶも大敗。日橋川に多くの将兵を失い、本拠黒川城を捨てて実家の常陸へ落ちた。四百年にわたり会津に君臨した蘆名氏は、ここに戦国大名として滅んだ。義広はのち佐竹家中で出羽角館に移り、江戸初期まで生きた。

官位・役職
会津守護(黒川城主)
領国・本拠
会津(黒川城)
旗印・家紋
丸に三引両
陣営
蘆名
生没
1575–1631(享年57)

生涯

  1. 天正十五年 蘆名を継ぐ 佐竹から会津の名門蘆名家へ養子に入り、家督を継いだ。
  2. 天正十七年 摺上原の大敗 伊達政宗に敗れ、会津を失って実家佐竹へ逃れた。
  3. 天正十八年 蘆名氏の滅亡 秀吉の奥州仕置でも旧領回復は叶わず、大名蘆名氏は消えた。
  4. 寛永八年 佐竹家中で出羽角館に移り、晩年を過ごした。

この絵巻での足跡全1合戦

  1. 摺上原の戦いすりあげはらのたたかい 天正十七年六月五日 陸奥国 会津 摺上原 佐竹義重の次男から名門蘆名を継いだ十六歳。老臣の不和を抱えたまま摺上原に臨み、敗れて会津を追われた。 兵力 6,000名 ・ 総大将 観る ▸

ゆかりの地

  • 鶴ヶ城・会津若松城(福島・会津若松)
  • 向羽黒山城跡(福島・会津美里)