長宗我部軍 ・ 長宗我部
長宗我部元親
ちょうそかべ もとちか
「土佐の出来人」
幼少は色白でおとなしく「姫若子」と侮られたが、二十二歳の初陣で槍をふるって敵を突き崩し、一転「鬼若子」と恐れられた。半農半兵の一領具足を率いて土佐を統一し、阿波・讃岐・伊予へと攻め広げて四国の覇者となる。だが天正十三年、天下人秀吉の四国攻めに抗しきれず降伏。土佐一国を安堵されて臣従した。晩年は嫡男信親を九州戸次川の戦いで失い、後継を巡る家中の苦悩を残して没した。
- 異名
- 「土佐の出来人」
- 官位・役職
- 宮内少輔
- 領国・本拠
- 土佐(岡豊城)
- 旗印・家紋
- 七つ酢漿草
- 陣営
- 長宗我部軍
- 生没
- 1539–1599(享年61)
生涯
- 永禄三年 長浜の初陣 二十二歳で初陣を飾り、「鬼若子」と恐れられた。
- 天正三年 土佐統一 一条氏を退けて土佐一国を平定し、四国制覇へ乗り出した。
- 天正十三年 四国攻め・降伏 秀吉の大軍に一宮城などを落とされ、降って土佐一国を安堵された。
- 天正十四年 戸次川の悲報 九州の戸次川で嫡男信親を失い、深い喪失を抱えた。
- 慶長四年 伏見に没す 天下の趨勢を見届けるように、伏見の屋敷で生涯を閉じた。
この絵巻での足跡全1合戦
ゆかりの地
- 岡豊城跡(高知・南国)
- 秦神社(高知)
- 雪蹊寺(高知)