北条 ・ 後北条
北条綱成
ほうじょう つなしげ
「地黄八幡」
福島氏の出とされ、北条氏綱に武勇を見込まれてその娘婿となり、北条を名乗った。黄色の地に「八幡」と記した旗を用いたことから「地黄八幡」と称され、その勇名は敵味方に轟いた。玉縄城主として東相模を押さえ、後北条氏の合戦の常に先陣を務める。河越夜戦では、八万の連合軍に囲まれた河越城にわずか三千で籠り、半年に及ぶ籠城を耐え抜いた。氏康の夜襲に呼応して城門を開き、「勝った、勝った」と喊声を上げて打って出て、内と外から連合軍を挟撃して壊滅させた。第二次国府台合戦や上杉謙信の来攻でも奮戦し、生涯を武辺一途に貫いた。
- 異名
- 「地黄八幡」
- 領国・本拠
- 相模(玉縄城)
- 陣営
- 北条
- 生没
- 1515–1587(享年73)
生涯
- 天文十五年 河越城の籠城 八万の連合軍に囲まれた河越城に三千で籠り、半年耐えて氏康の夜襲に呼応、城から打って出て敵を挟撃した。
- 永禄七年 国府台の戦い 第二次国府台合戦で里見軍を破り、武名をさらに高めた。
- 永禄十二年 武田の来攻 武田信玄の小田原攻めや各地の戦いで後北条氏の主力を担った。
- 天正十五年 没 後北条氏の猛将として生涯を終えた。
この絵巻での足跡全1合戦
ゆかりの地
- 玉縄城跡(神奈川・鎌倉)
- 龍寶寺(神奈川・鎌倉)