← 武将一覧へ

北条 ・ 後北条

北条氏康

ほうじょう うじやす

「相模の獅子」

北条氏綱の子として生まれ、幼少より父に従って戦場を駆けた。生涯に受けた傷はすべて体の前面にあったと伝わり、その武勇から「相模の獅子」と称される。家督を継いだ直後、扇谷・山内の両上杉と古河公方が連合して河越城に押し寄せると、氏康はへりくだった和睦や敗走を装って敵の油断を誘い、天文十五年、八千の兵で八万の大軍に夜襲を敢行してこれを打ち破った(河越夜戦)。以後、関東に勢力を広げ、上杉謙信・武田信玄の再三の侵攻もよく凌ぎ、甲相駿三国同盟を結んで背後を固めた。検地や税制改革、伝馬制の整備など内政にも心を配り、後北条氏の全盛を築いた。

異名
「相模の獅子」
官位・役職
相模守
領国・本拠
相模(小田原城)
旗印・家紋
三つ鱗
陣営
北条
生没
1515–1571(享年57)

生涯

  1. 天文十年 家督相続 父氏綱の死を受けて後北条氏の当主となった。
  2. 天文十五年 河越夜戦 八千の兵で八万の連合軍を夜襲で破り、扇谷上杉を滅ぼして関東の主導権を握った。
  3. 天文二十三年 三国同盟 武田・今川と甲相駿三国同盟を結び、背後の憂いを断った。
  4. 永禄四年 小田原を守る 上杉謙信の大軍による小田原包囲を、堅城に拠って退けた。
  5. 元亀二年 小田原に没す 後北条氏の全盛を築き、小田原城に生涯を閉じた。

この絵巻での足跡全1合戦

  1. 河越城の戦いかわごえじょうのたたかい 天文十五年 武蔵国 河越城 後北条氏三代目。十倍の敵を前に和睦と敗走を装って油断を誘い、深夜の奇襲で八万の連合軍を打ち破った。関東に覇を唱えた名君。 兵力 8,000名 ・ 総大将 観る ▸

ゆかりの地

  • 小田原城跡(神奈川・小田原)
  • 早雲寺(神奈川・箱根)