西軍石田
石田三成
いしだ みつなり
「治部少輔」
1560–1600(享年41)
- 官位・役職
- 治部少輔
- 領国・本拠
- 近江佐和山
- 旗印・家紋
- 大一大万大吉
- 3Dで見られる合戦
- 2合戦
肖像画・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
大一大万大吉──一人は万民のため、万民は一人のため。
石田三成 旗印
「三献の茶」で秀吉に見出され、その吏僚として検地や兵站を取り仕切った豊臣政権の要。秀吉没後、豊臣家を守る立場から徳川家康に対抗し、西軍を結集して関ヶ原に臨んだ。だが小早川秀秋らの寝返りで敗北。近江に潜伏するも捕えられ、六条河原で処刑された。義に殉じた官僚と評される。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1583天正十一年
秀吉の懐刀
賤ヶ岳戦後、行政手腕を買われ豊臣政権の中枢を担った。
- 1590天正十八年
小田原攻め
名胡桃城の一件を咎めた秀吉が、二十万を超える大軍で北条の小田原城を陸と海から囲む。山中城の陥落、石垣山の一夜城、支城の陥落の末に北条は降り、秀吉の天下統一は目前となった。
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- 1600慶長五年
西軍挙兵
家康打倒を掲げ、毛利輝元を盟主に西軍を結成した。
- 1600慶長五年
- 1600慶長五年
六条河原
捕縛され京で斬首。最後まで信念を曲げなかったと伝わる。