蘆名 ・ 金上(蘆名一門)
金上盛備
かながみ もりはる
「蘆名の柱石」
蘆名一門の重臣で、越後との境を扼す津川城主。政務・外交に長け、上洛して豊臣秀吉に謁見するなど蘆名家の柱石として重きをなした。当主義広を迎えた家中の融和にも腐心する。天正十七年の摺上原では、風向きの逆転で味方が総崩れとなるなか、退く友軍を救わんとただ一手で伊達勢へ突き入り、奮戦の末に討死した。享年六十三。その死は、名門蘆名の滅亡を象徴する最期として語り継がれる。
- 異名
- 「蘆名の柱石」
- 官位・役職
- 津川城主
- 領国・本拠
- 越後境(津川城)
- 旗印・家紋
- 丸に三引両
- 陣営
- 蘆名
- 生没
- 1527–1589(享年63)
生涯
- 大永七年 誕生 蘆名一門・金上氏に生まれる。
- 天正八年 津川城主 越後境を扼す津川城を預かり、蘆名の宿老として重きをなした。
- 天正十六年 上洛 上洛して秀吉に謁見し、蘆名家の存立に奔走した。
- 天正十七年 摺上原に散る 崩れる味方を支えようと敵中へ突撃し、討死した。享年六十三。
この絵巻での足跡全1合戦
ゆかりの地
- 津川城跡・麒麟山(新潟・阿賀町)