徳川前田
前田利常
まえだ としつね
「加賀百万石の名君」
1594–1658(享年65)
- 官位・役職
- 肥前守 / 中納言
- 領国・本拠
- 加賀金沢
- 旗印・家紋
- 加賀梅鉢
- 3Dで見られる合戦
- 1合戦
肖像画・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
前田利家の四男として生まれ、兄利長の養嗣子となって加賀藩を継いだ。将軍秀忠の娘珠姫を正室に迎え、徳川との結びつきを固める。二十一歳で臨んだ大坂冬の陣では真田丸の正面に配置され、真田信繁の挑発に乗った先鋒が柵に取り付いて鉄砲の斉射を浴び、数百の死傷者を出した。翌年の夏の陣では雪辱を果たして功を挙げる。藩政では鼻毛を伸ばして愚鈍を装い幕府の警戒を解いたという逸話で知られ、改作法などの農政改革と文化事業により加賀百万石の基礎を固めた。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1594文禄三年
誕生
前田利家の四男として生まれる。幼名猿千代。
- 1605慶長十年
加賀藩主
兄利長の隠居により十二歳で藩主となる。
- 1614慶長十九年
大坂冬の陣
真田丸の正面を攻め、真田信繁の鉄砲に大損害を受けた。
大坂冬の陣 兵 12,000 3Dで見る › 加賀百万石の若き当主。真田丸の正面に布陣し、十二月四日、信繁の挑発に乗って柵に取り付いた先鋒が鉄砲の斉射を浴びて大損害を出した。 PR「大坂冬の陣」の本を探す楽天で探す
- 1615慶長二十年
大坂夏の陣
雪辱を果たし、徳川方の一翼として戦功を挙げた。
- 1658万治元年
小松に没す
加賀百万石の基礎を固め、六十五歳で世を去った。