毛利軍毛利
毛利元就
もうり もとなり
「三本の矢」
1497–1571(享年75)
- 官位・役職
- 陸奥守
- 領国・本拠
- 安芸 → 中国地方
- 旗印・家紋
- 一文字三星
- 3Dで見られる合戦
- 1合戦
肖像画・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
一本の矢は折れやすく、三本束ねれば折れがたし。
三子教訓状(伝)
安芸の小さな国人領主から身を起こし、一代で中国地方十カ国を制した稀代の謀将。調略と離間を巧みに操り、厳島の奇襲で主家を奪った陶晴賢を討ち、月山富田城を落として尼子を滅ぼした。三人の子に結束を説いた「三本の矢」の教えで知られる。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1523大永三年
郡山城主
家督を継ぎ、安芸吉田郡山城を本拠に勢力を広げ始めた。
- 1555弘治元年
厳島の戦い
寡兵で陶晴賢の大軍を厳島に誘い込み、奇襲で討ち取った。
厳島の戦い 総大将 兵 4,000 3Dで見る › 暴風の海を渡って島の裏手に上陸し、弥山を越えて陶本陣を背後から奇襲した知謀の将。一日で中国の覇権を覆した。 PR「厳島の戦い」の本を探す楽天で探す
- 1566永禄九年
尼子を滅ぼす
月山富田城を落とし、宿敵尼子氏を下して中国制覇を成した。
- 1571元亀二年
郡山に没す
中国の覇者として、七十五年の生涯を吉田郡山城で閉じた。