織田織田
織田信孝
おだ のぶたか
1558–1583(享年26)
- 官位・役職
- 侍従
- 領国・本拠
- 伊勢神戸 → 美濃岐阜
- 旗印・家紋
- 織田木瓜
- 3Dで見られる合戦
- 2合戦
後世の想像図・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
昔より 主を討つ身の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前
織田信孝 辞世
織田信長の三男で、伊勢神戸氏を継ぐ。本能寺の変の直後、四国攻めの軍を率いていたが、駆けつけた秀吉と合流し、山崎の戦いでは名目上の総大将として明智光秀を討った。だが続く清須会議では、兄信雄や秀吉との駆け引きに敗れて織田家の主導権を失う。柴田勝家・滝川一益と結んで秀吉に対抗するが、賤ヶ岳で勝家が敗れると孤立。降伏の後、尾張・内海で自害を命じられ、二十六歳で果てた。秀吉を呪う辞世が伝わる。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1582天正十年
- 1582天正十年
清須会議
家督争いに敗れ、織田家の主導権を失った。
- 1583天正十一年