戸次川の戦いの解説
戸次川の戦いは、1586年(天正十四年十二月十二日)に豊後国 戸次川(大野川)で行われた合戦です。秀吉が九州へ先に送った四国勢が、軍監・仙石秀久の独断で戸次川を渡り、島津家久の釣り野伏せに壊滅。長宗我部元親は嫡男・信親を失った。九州攻めの前哨戦。
- 年
- 1586年天正十四年十二月十二日
- 場所
- 豊後国 戸次川(大野川)
- 時代
- 安土桃山時代
両軍の対陣
合戦の経過時刻は3Dの時計
- 天正十四年 冬1章
救援豊後を救え
天正十四年、九州のほとんどを手に入れた島津が、大友の豊後へ攻め込んだ。大友宗麟の願いを受けた秀吉は、仙石秀久を軍監として、長宗我部元親・信親の父子、十河存保ら四国の兵を先に送る。秀吉の命は「本隊が着くまで、守りを固めて待て」であった。
- 十二月十一日2章
軍議鏡城の軍議
島津家久の大軍が、大友方の鶴賀城を囲んだ。救いに駆けつけた四国勢は、戸次川をはさんで向かいの鏡城に陣を取る。すぐに川を渡って城を救おうと言う仙石に、元親は「援軍を待つべきだ」と強く反対した。だが、軍監の言葉は覆らなかった。
- 十二月十二日 夕刻3章
渡河戸次川を渡る
十二月十二日、四国勢はついに戸次川を渡り始めた。先頭を行くのは、元親の嫡男・信親である。向こう岸の島津勢は小勢に見え、川を渡りきった兵たちは勢いに乗って押し出す。家久の兵は、わざと退いて見せた。
- 十二月十二日 日暮れ4章
野伏せ釣り野伏せ
誘い込まれた四国勢の左右から、潜んでいた島津の伏兵が一斉に襲いかかった。島津の得意とする「釣り野伏せ」である。退いていた島津の兵もとって返し、四国勢は三方から包まれた。真っ先に崩れたのは、渡河を言い出した仙石の隊であった。
- 十二月十二日 夜5章
信親中津留河原の最期
退く道を断たれた信親は、中津留の河原に踏みとどまった。従う兵およそ七百とともに島津勢に斬り込み、一歩も退かずに討ち死にする。二十二歳であった。十河存保もまた、この乱戦の中で命を落とした。
- 十二月十三日6章
敗走総崩れ
仙石秀久はわずかな供を連れて戦場を捨て、元親も信親を失ったまま、伊予へ落ちのびた。鶴賀城は落ち、大友義統も府内を捨てて逃れる。豊後の大半が、島津の手に渡った。
- 天正十五年 春7章
余波九州攻めへ
命に背いて大敗を招いた仙石は、秀吉の怒りを買い、領地を取り上げられた。最愛の嫡男を失った元親は、こののち跡継ぎをめぐって家中を大きく乱していく。そして翌年、秀吉と秀長の大軍が、九州へ押し寄せることになる。
超精密3Dで見ると合戦パスの特典

同じ場面を、標準の画質と超精密3Dで並べました。線を左右に動かして見比べられ、「引き」と「接近」で見え方を切り替えられます。超精密3Dでは、山肌の尾根と谷、3Dの森と岩、海や川の水面、田畑の筋、人の姿の兵まで精密に描きます。各合戦の1章目は、合戦パスが無くても超精密3Dで見られます。
よくある質問
戸次川の戦いとは何ですか?
秀吉が九州へ先に送った四国勢が、軍監・仙石秀久の独断で戸次川を渡り、島津家久の釣り野伏せに壊滅。長宗我部元親は嫡男・信親を失った。九州攻めの前哨戦。
戸次川の戦いはいつ・どこで起きましたか?
1586年、豊後国 戸次川(大野川)(天正十四年十二月十二日)で起きた合戦です。
戸次川の戦いでは誰が戦いましたか?
豊臣方(四国勢)の仙石秀久、島津軍の島津家久らが戦いました。
戸次川の戦いを3Dで見られますか?
はい。このページで約3分の3D俯瞰演出として無料でご覧いただけます。布陣・軍勢の動き・勝敗の流れを直感的に追えます。
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