北条後北条
北条氏政
ほうじょう うじまさ
1538–1590(享年53)
- 官位・役職
- 左京大夫 / 相模守
- 領国・本拠
- 相模(小田原城)
- 旗印・家紋
- 三つ鱗
- 3Dで見られる合戦
- 1合戦
肖像画・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
雨雲の おほへる月も 胸の霧も はらひにけりな 秋の夕風
北条氏政 辞世
北条氏康の次男で、兄の早世により嫡子となり、後北条氏四代目を継いだ。武田・上杉と和戦を繰り返しながら関東に勢力を広げる。天正八年に家督を嫡男氏直に譲ったのちも「御隠居様」として実権を握り続け、本能寺の変の後には氏直とともに神流川で滝川一益を破って上野を制し、後北条氏の版図を最大(二百四十万石ともいわれる)に広げた。だが豊臣秀吉の上洛要求に応じず、名胡桃城事件をきっかけに天正十八年の小田原攻めを招く。小田原城に三か月余り籠城したものの七月に開城し、主戦の責めを負って弟氏照とともに切腹した。父氏康が、飯にかける汁の量も量れぬ氏政を見て北条の行く末を嘆いたという「汁かけ飯」の逸話は有名だが、後世の創作とも考えられている。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1559永禄二年
家督相続
父氏康の隠居により、後北条氏四代目の当主となった。
- 1580天正八年
隠居
家督を嫡男氏直に譲るも、「御隠居様」として実権を握り続けた。
- 1582天正十年
神流川の戦い
本能寺の変の後、滝川一益を破って上野を制し、版図を最大に広げた。
- 1590天正十八年
小田原開城・切腹
秀吉の大軍に三か月余り籠城の末に開城し、弟氏照とともに切腹した。
小田原攻め 兵 10,000 3Dで見る › 氏直の父で、隠居ののちも北条を動かした先代。関東に最大の領国を築いたが、秀吉に従うことを拒み続け、開城ののち弟の氏照とともに切腹した。 PR「小田原攻め」の本を探す楽天で探す