北条後北条
北条氏照
ほうじょう うじてる
1542–1590(享年49)
- 官位・役職
- 陸奥守
- 領国・本拠
- 武蔵(滝山城 → 八王子城)
- 旗印・家紋
- 三つ鱗
- 3Dで見られる合戦
- 1合戦
天地の 清き中より 生まれきて もとのすみかに 帰るべらなり
北条氏照 辞世
北条氏康の三男。武蔵の国衆・大石氏の名跡を継いで由井城・滝山城を本拠とし、のちに八王子城を築いて移った。永禄十二年には武田信玄の大軍に滝山城を攻められながらも持ちこたえ、退く武田勢を三増峠に追うなど、武勇で知られる。織田・徳川や伊達・蘆名との外交も担い、兄氏政を支える後北条氏の軍事と外交の要であった。小田原攻めでは主戦論を唱えて小田原城に籠城する。城主不在の八王子城は六月二十三日、前田利家・上杉景勝らの大軍に一日で攻め落とされ、城内の婦女子の多くが自害したと伝わる。開城後、兄氏政とともに開戦の責めを負わされ、切腹した。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1559永禄二年
大石氏を継ぐ
武蔵の国衆大石氏の名跡を継いで由井城に入り、武蔵西部を治めた。
- 1569永禄十二年
滝山城の戦い
武田信玄の大軍に滝山城を攻められるも持ちこたえ、退く武田勢を三増峠に追った。
- 1590天正十八年
八王子城の落城
小田原籠城中に、居城の八王子城が前田・上杉勢に一日で落とされた。
- 1590天正十八年
兄とともに切腹
開城後、主戦派として責めを負い、兄氏政とともに切腹した。
- 1590天正十八年
小田原攻め
氏政の弟で八王子城の主。北条の戦と外交を担った主戦派で、小田原に籠もって最後まで戦うことを説いた。開城ののち、兄とともに切腹した。
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