鎌倉幕府(御家人)少弐氏(武藤氏)
少弐景資
しょうに かげすけ
1246–1285(享年40)
- 官位・役職
- 左衛門尉
- 領国・本拠
- 筑前(大宰府)
- 旗印・家紋
- 寄懸り目結
- 3Dで見られる合戦
- 2合戦
大宰府を預かり、九州の御家人を束ねた少弐資能(覚恵)の三男。文永十一年の文永の役では、日本軍の大将として博多の息浜に陣を構え、九州の御家人を率いて元・高麗軍を迎え撃った。『蒙古襲来絵詞』には、景資の陣の前を通って先駆けに向かう竹崎季長が描かれる。退く日本勢を追ってきた元の将を射落とし、それが副元帥の劉復亨であったと伝わる。弘安の役でも戦った。弘安八年、鎌倉の霜月騒動に連なって兄・経資と筑前の岩門城で戦い(岩門合戦)、敗れて自害した。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1246寛元四年
誕生
大宰府の少弐資能の三男として生まれる。
- 1274文永十一年
文永の役
日本軍の大将として博多に陣を構え、元・高麗軍を迎え撃った。
文永の役 総大将 兵 3,000 3Dで見る › 大宰府を預かる少弐資能の子。日本軍の大将として博多の息浜に陣を構え、九州の御家人を率いて元・高麗軍を迎え撃った。退く途中、追ってきた元の将を射落としたと伝わる。 PR「文永の役」の本を探す楽天で探す
- 1281弘安四年
- 1285弘安八年
岩門合戦
霜月騒動に連なって兄・経資と争い、敗れて自害した。
ゆかりの地
よくある質問
少弐景資とはどんな人物ですか?
大宰府を預かる少弐資能の三男。文永の役で日本軍の大将として博多で元・高麗軍を迎え撃ち、追ってきた元の副元帥・劉復亨を射たと伝わる。のちに兄・経資と争い、岩門合戦に敗れて自害した。
少弐景資の官位・役職は何ですか?
左衛門尉(さえもんのじょう)です。
少弐景資はいつ生まれ、いつ亡くなりましたか?
1246年に生まれ、1285年に亡くなりました(享年40、数え年)。
少弐景資が戦った合戦を3Dで見られますか?
はい。文永の役(1274年)、弘安の役(1281年)を、この「合戦3D絵巻」で見られます。布陣と軍勢の動きを3Dでたどれます。