徳川軍鳥居
鳥居元忠
とりい もとただ
「三河武士の鑑」
1539–1600(享年62)
- 官位・役職
- 彦右衛門尉
- 領国・本拠
- 甲斐郡内 → 下総矢作
- 旗印・家紋
- 鳥居笹
- 3Dで見られる合戦
- 1合戦
肖像画・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
三河の鳥居忠吉の子。十三歳で、今川家の人質だった竹千代(家康)の近侍となり、以後半世紀にわたって仕えた最古参の譜代である。天正壬午の乱では甲斐黒駒で北条勢を破り、郡内を与えられた。天正十三年の第一次上田合戦では、大久保忠世・平岩親吉らと七千の兵で上田城を攻めたが、真田昌幸の策で城下に誘い込まれ、神川で多くの将兵を失って退いた。関東移封の後は下総矢作四万石を領する。慶長五年、家康が会津征伐に発つと伏見城の留守を預かった。出陣の前夜、家康と酒を酌み交わし、再び生きて会うことはないと覚悟して別れたと伝わる。西軍四万の猛攻に十三日間耐え抜いて討死。血に染まった城の床板は「血天井」として京都の寺々に残り、その忠節は「三河武士の鑑」と称えられた。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1551天文二十年
竹千代の近侍
十三歳で、今川家の人質だった竹千代(家康)に仕え始めた。
- 1582天正十年
黒駒の戦い
天正壬午の乱で甲斐黒駒に北条勢を破り、郡内を与えられた。
- 1585天正十三年
第一次上田合戦
大久保忠世らと上田城を攻めるも、真田昌幸の策にはまり大敗した。
第一次上田合戦 総大将 兵 3,000 3Dで見る › 家康の幼いころからの側近で、上田に向けられた徳川勢の中心となった将。城下へ深入りしたところを城と伏兵に挟まれ、神川へ向けて崩れた。 PR「第一次上田合戦」の本を探す楽天で探す
- 1590天正十八年
矢作四万石
家康の関東移封に従い、下総矢作に四万石を与えられた。
- 1600慶長五年
伏見城に散る
西軍の大軍を相手に十三日間籠城し、討死した。享年六十二。