徳川軍大久保
大久保忠世
おおくぼ ただよ
「徳川十六神将」
1532–1594(享年63)
- 官位・役職
- 信州惣奉行
- 領国・本拠
- 遠江二俣 → 相模小田原
- 旗印・家紋
- 大久保藤
- 3Dで見られる合戦
- 3合戦
肖像画・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
この者どもは、よき膏薬のようだ。敵にべったりと貼りついて離れぬ。
長篠での織田信長の評(『三河物語』より意訳)
三河の大久保忠員の長男で、弟には『三河物語』を著した彦左衛門忠教がいる。家康に仕えて数々の合戦で先手を務め、徳川十六神将の一人に数えられる。三方ヶ原で大敗したその夜には、犀ヶ崖に陣取る武田勢へ鉄砲を撃ちかけて混乱させ、信玄に「勝ちてもおそろしき敵かな」と言わしめたと伝わる。長篠では弟忠佐とともに柵の外で奮戦し、織田信長から「よき膏薬のように敵に貼りついて離れぬ」と称賛された。武田から奪い返した二俣城を任されて遠江の守りを担い、武田滅亡後は信州惣奉行として小諸にあって信濃を差配したが、天正十三年の第一次上田合戦では真田昌幸の術中に陥って大敗する。小田原攻めの後、北条氏の居城だった小田原城と四万五千石を与えられ、文禄三年に没した。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1573元亀三年
犀ヶ崖の夜襲
三方ヶ原の大敗の夜、犀ヶ崖の武田陣に鉄砲を撃ちかけて混乱させた。
- 1573元亀三年
- 1575天正三年
長篠の戦い
弟忠佐とともに柵の外で奮戦し、織田信長に称賛された。
長篠の戦い 兵 2,000 3Dで見る › あえて柵の外に陣取って武田勢を挑発し、突撃を柵へ誘い込む囮役を務めた。 PR「長篠の戦い」の本を探す楽天で探す
- 1575天正三年
二俣城主
武田から奪い返した二俣城を任され、遠江の守りを担った。
- 1585天正十三年
第一次上田合戦
鳥居元忠らと上田城を攻めるも、真田昌幸の策に大敗した。
第一次上田合戦 兵 2,000 3Dで見る › 三方ヶ原や長篠で名を上げた徳川の宿将。先手として二の丸まで迫ったが、城からの反撃と信幸の横撃に崩され、増水した神川へ追い落とされた。 PR「第一次上田合戦」の本を探す楽天で探す
- 1590天正十八年
小田原城主
北条氏の滅亡後、小田原城と四万五千石を与えられた。