長篠の戦いの解説
長篠の戦いは、1575年(天正三年五月二十一日)に三河国 長篠・設楽原で行われた合戦です。馬防柵と三千挺の鉄砲が武田騎馬軍団を打ち砕いた、戦国の戦い方を変えた決戦。
- 年
- 1575年天正三年五月二十一日
- 場所
- 三河国 長篠・設楽原
- 時代
- 安土桃山時代
両軍の対陣
武田軍 総大将武田勝頼 9,4008隊
織田・徳川軍 総大将織田信長 37,0009隊 兵力の内訳3Dに登場する部隊の合計
本陣 3,000戦った 6,400
本陣 18,000戦った 18,500戦わず 500
肖像画は Wikimedia Commons のパブリックドメインの画像です(後世に描かれた想像図を含みます)。
合戦の経過時刻は3Dの時計
- 午前4:001章
未明鳶ヶ巣山、夜襲
天正三年五月二十一日未明。酒井忠次率いる別働隊四千が南の山道を密かに迂回し、長篠城を囲む鳶ヶ巣山砦を急襲した。背後を断たれた武田勝頼は、設楽原での決戦を選ぶほかなくなる。
- 午前6:002章
対陣設楽原、対陣
夜明け。連吾川を挟み、織田・徳川連合軍三万八千と武田軍一万五千が対峙する。信長は野に三重の馬防柵を組み、三千挺(通説)の鉄砲を柵の内に潜ませていた。
- 午前6:303章
突撃武田騎馬隊、突撃
午前六時すぎ、山県昌景の赤備えを先頭に武田軍の波状突撃が始まる。だが連吾川を渡った騎馬武者を待っていたのは、馬防柵と、火を噴く鉄砲の列だった。
- 午前8:004章
斉射三段撃ちの嵐
真田信綱・昌輝の兄弟、土屋昌続が次々と倒れ、それでも武田軍は突撃をやめない。内藤昌豊、馬場信春らの精鋭も柵を破れず、名のある武将が次々と銃弾に斃れていく。
- 午前10:005章
力尽き武田軍、力尽きる
八度に及ぶ突撃は、ことごとく撃退された。猛将・山県昌景も乱射のなかに散る。歴戦の宿将を失った武田軍に、もはや柵を破る力は残っていなかった。
- 午後0:006章
追撃総崩れ、追撃戦
正午すぎ、連合軍が柵を越えて反撃に転じる。武田軍は総崩れとなり、殿軍を買って出た馬場信春は勝頼を逃がした後、踏みとどまって討死した。
- 午後1:007章
落日武田、落日
勝頼はわずかな旗本とともに鳳来寺道を北へ落ち延びた。武田の宿将の多くが設楽原に消え、戦国最強と謳われた騎馬軍団の時代は、この日終わりを告げた。
テスト対策要点まとめ・一問一答・流れ図
長篠の
長篠の戦いが起きたのは何年?
答1575年
天正3年5月21日。戦いの
超精密3Dで見ると合戦パスの特典

同じ場面を、標準の画質と超精密3Dで並べました。線を左右に動かして見比べられ、「引き」と「接近」で見え方を切り替えられます。超精密3Dでは、山肌の尾根と谷、3Dの森と岩、海や川の水面、田畑の筋、人の姿の兵まで精密に描きます。各合戦の1章目は、合戦パスが無くても超精密3Dで見られます。
よくある質問
長篠の戦いとは何ですか?
馬防柵と三千挺の鉄砲が武田騎馬軍団を打ち砕いた、戦国の戦い方を変えた決戦。
長篠の戦いはいつ・どこで起きましたか?
1575年、三河国 長篠・設楽原(天正三年五月二十一日)で起きた合戦です。
長篠の戦いでは誰が戦いましたか?
織田・徳川軍の織田信長、織田・徳川軍の徳川家康、武田軍の武田勝頼らが戦いました。
長篠の戦いを3Dで見られますか?
はい。このページで約3分の3D俯瞰演出として無料でご覧いただけます。布陣・軍勢の動き・勝敗の流れを直感的に追えます。