三方ヶ原の戦いの解説
三方ヶ原の戦いは、1573年(元亀三年十二月二十二日)に遠江国 三方ヶ原で行われた合戦です。雪の夕暮れ、武田信玄が徳川家康に生涯最大の敗北を与えた。空城の計と犀ヶ崖の夜襲で終わる冬の死闘。
- 年
- 1573年元亀三年十二月二十二日
- 場所
- 遠江国 三方ヶ原
- 時代
- 戦国時代
両軍の対陣
武田軍 総大将武田信玄 19,0005隊
徳川・織田軍 総大将徳川家康 14,3008隊 兵力の内訳3Dに登場する部隊の合計
戦った 19,000
戦った 14,300
肖像画は Wikimedia Commons のパブリックドメインの画像です(後世に描かれた想像図を含みます)。
合戦の経過時刻は3Dの時計
- 午後2:001章
西上信玄、城を素通りする
元亀三年十二月二十二日。西上する武田信玄二万七千は、浜松城に目もくれず三方ヶ原台地へと進路を取った。籠城すれば安全。だが目の前を素通りされて、城を出ぬは武門の恥――家康は決断する。
- 午後3:002章
出撃家康、城を出る
徳川軍八千に織田の援軍三千。倍以上の敵を追って、家康は雪のちらつく台地へ登った。武田軍は魚鱗、徳川軍は鶴翼。後に「待ち伏せされたのは家康だった」と言われる布陣である。
- 午後4:003章
対陣夕刻の対陣
申の下刻、日は傾き、雪が舞う。小山田隊の投石を合図に、両軍は枯れ野の台地でぶつかった。
- 午後4:304章
崩壊魚鱗、鶴翼を砕く
戦上手の信玄に、広げた鶴翼はあまりに薄かった。山県の赤備えが左翼を割り、馬場隊が右翼を砕く。織田援軍の平手汎秀は討死、佐久間隊は早々に戦場を離れた。
- 午後5:305章
敗走家康、敗走
本陣まで崩れ、家康は浜松へ駆ける。身代わりを名乗り出た夏目吉信は敵中に消えた。城に逃げ帰った家康は、恐怖に歪んだおのれの顔を絵師に描かせたと伝わる――「しかみ像」である。
- 午後6:306章
空城空城の計
浜松城は門を開け放ち、篝火を煌々と焚いた。罠を疑った武田軍は城攻めをやめ、台地の上に野営する。
- 午後8:007章
夜襲犀ヶ崖の夜襲
夜半、大久保忠世らが武田の野営地を突く。闇に崩れた武田勢は犀ヶ崖の谷へ転落したと伝わる。完敗の中のささやかな意地――家康は生涯、この日の教訓を忘れなかった。
テスト対策要点まとめ・一問一答・流れ図
三方ヶ原の
三方ヶ原の戦いが起きたのは何年?
答1572年(元亀3年)
12月22日。西暦に
超精密3Dで見ると合戦パスの特典

同じ場面を、標準の画質と超精密3Dで並べました。線を左右に動かして見比べられ、「引き」と「接近」で見え方を切り替えられます。超精密3Dでは、山肌の尾根と谷、3Dの森と岩、海や川の水面、田畑の筋、人の姿の兵まで精密に描きます。各合戦の1章目は、合戦パスが無くても超精密3Dで見られます。
よくある質問
三方ヶ原の戦いとは何ですか?
雪の夕暮れ、武田信玄が徳川家康に生涯最大の敗北を与えた。空城の計と犀ヶ崖の夜襲で終わる冬の死闘。
三方ヶ原の戦いはいつ・どこで起きましたか?
1573年、遠江国 三方ヶ原(元亀三年十二月二十二日)で起きた合戦です。
三方ヶ原の戦いでは誰が戦いましたか?
武田軍の武田信玄、徳川・織田軍の徳川家康らが戦いました。
三方ヶ原の戦いを3Dで見られますか?
はい。このページで約3分の3D俯瞰演出として無料でご覧いただけます。布陣・軍勢の動き・勝敗の流れを直感的に追えます。