豊臣豊臣
豊臣秀頼
とよとみ ひでより
「大坂城の若君」
1593–1615(享年23)
- 官位・役職
- 右大臣
- 領国・本拠
- 摂津・河内・和泉
- 旗印・家紋
- 五七桐
- 3Dで見られる合戦
- 2合戦
肖像画・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
豊臣秀吉と淀殿の間に生まれ、秀吉の晩年の溺愛を一身に受けた。六歳で父を失い、関ヶ原の後は摂津・河内・和泉六十五万石の一大名に転落する。長じて身長六尺を超える偉丈夫となり、二条城で家康と対面した際にはその器量が家康を警戒させたという。方広寺鐘銘事件を口実に徳川が攻め寄せると、真田信繁ら牢人十万を集めて大坂城に籠城した。冬の陣では真田丸で徳川方を撃退したが、大筒の砲撃に動揺した母淀殿の意向もあって和議を結び、堀を埋められる。裸城となった翌年の夏の陣で敗れ、燃える大坂城の中で母とともに自害した。二十三歳。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1593文禄二年
誕生
大坂城で秀吉の子として生まれる。幼名拾。
- 1598慶長三年
父の死
六歳で秀吉を失い、五大老・五奉行に後見される。
- 1611慶長十六年
二条城会見
家康と対面。堂々たる体躯と器量が家康を警戒させたと伝わる。
- 1614慶長十九年
大坂冬の陣
牢人十万を集めて籠城。真田丸で徳川方を退けたが、和議で堀を埋められた。
大坂冬の陣 総大将 兵 30,000 3Dで見る › 秀吉の遺児、大坂城の主。二十三歳で徳川の大軍を迎え、本丸から籠城を指揮した。大筒の砲撃と母淀殿の動揺のなか、和議を受け入れる。 PR「大坂冬の陣」の本を探す楽天で探す
- 1615慶長二十年