劉備軍張(蜀漢)
張飛
ちょうひ
「燕人張翼徳」
生年不詳–221
- 官位・役職
- 車騎将軍 / 西郷侯
- 領国・本拠
- 蜀漢
- 3Dで見られる合戦
- 1合戦
後世の想像図・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
我こそは張益徳なり。来たりて共に死を決せよ。
『三国志』張飛伝
涿郡の人。若くして関羽とともに劉備に従い、演義では桃園で義兄弟の契りを結んだと語られる。建安十三年の長坂では二十騎で殿を務め、長坂橋を落として川を背に立ち、「我こそは張益徳なり。来たりて死を決せよ」と吼えて曹操の追手を釘付けにした。益州平定では厳顔を降し、巴西では張郃の大軍を山道で破って漢中攻略の道を開いた。剛勇にして書画も嗜んだが、部下に厳しく、劉備に「士卒を鞭打ちながら側に置くのは禍のもとだ」と諫められている。章武元年、関羽の仇討ちに出陣する直前、部下の張達・范彊に寝首を掻かれた。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 184中平元年
劉備に従う
黄巾の乱に際し、関羽とともに劉備の挙兵に加わった。
- 208建安十三年
長坂橋
二十騎で長坂橋を落として仁王立ちし、曹操の追手を一喝で止めた。
長坂の戦い 兵 20 3Dで見る › 燕人張益徳。二十騎で殿を務め、長坂橋を落として川を背に仁王立ちした。その一喝に曹操の追手は誰も踏み出せなかった。 PR「長坂の戦い」の本を探す楽天で探す
- 214建安十九年
益州平定
厳顔を義をもって降し、劉備の益州入りを助けた。
- 215建安二十年
巴西の戦い
張郃の大軍を瓦口の山道で破り、漢中攻略の道を開いた。
- 221章武元年
非業の最期
夷陵への出陣直前、部下の張達・范彊に殺された。