長坂の戦いの解説
長坂の戦いは、208年(後漢 建安十三年)に荊州 当陽 長坂で行われた合戦です。十万の民を連れて南へ逃れる劉備に、曹操の精鋭騎兵五千が追いつく。趙雲は単騎で敵中に取って返して幼い阿斗を救い、張飛は長坂橋に仁王立ちして大軍を止めた。赤壁への序曲。
- 年
- 208年後漢 建安十三年
- 場所
- 荊州 当陽 長坂
- 時代
- 後漢末(三国志)
両軍の対陣
合戦の経過時刻は3Dの時計
- 九月 樊城1章
南下十万の民とともに
建安十三年秋、曹操が荊州へ南下し、劉表の跡を継いだ劉琮は戦わずして降った。樊城の劉備は江陵を目指して南へ退く。だが劉備を慕う荊州の民十万余が後を追い、行軍は一日十余里しか進めない。「大事を成すには人が本だ」と、劉備は民を見捨てなかった。
- 追撃 一日一夜2章
追撃虎豹騎、一日一夜三百里
江陵の軍需物資を劉備に渡してはならぬ。曹操は輜重を捨て、精鋭騎兵五千を率いて自ら追った。一日一夜に三百里を駆けた虎豹騎は、当陽の長坂で劉備の列に追いつく。
- 長坂 朝3章
長坂劉備、妻子を捨てて走る
長坂坡で曹操の騎兵が襲いかかると、民と兵は入り乱れて崩れた。劉備は妻子を置き去りにし、諸葛亮・張飛・趙雲ら数十騎とともに東の漢津を目指して逃れる。二人の娘は曹純に捕らえられ、甘夫人と幼い阿斗は乱軍の中に取り残された。
- 長坂 昼4章
単騎趙雲、阿斗を抱く
「趙雲が北へ走った。曹操に降ったのだ」と告げる者があった。劉備は手戟を投げて怒った。「子龍は私を見捨てぬ」。果たして趙雲は単騎で敵中に取って返し、甘夫人と阿斗を探し出して懐に抱き、幾重もの敵をかき分けて戻ってきた。演義はこれを「七度出入りし五十余将を斬る」と語る。
- 長坂橋5章
長坂橋「燕人張飛ここにあり」
張飛は二十騎で殿を務め、長坂橋を落として川を背に立った。蛇矛を横たえ、目を怒らせて吼える。「我こそは張益徳なり。来たりて死を決せよ」。その気迫に曹操の追手は誰一人踏み出せず、劉備はこの間に逃れ去った。
- 漢津6章
漢津関羽の船
漢津に出た劉備を、水軍を率いて漢水を下ってきた関羽が迎えた。さらに江夏の劉琦も一万を率いて合流し、劉備一行は船で夏口へ渡る。曹操は江陵を占領したが、劉備を取り逃がした。
- 夏口7章
赤壁へ孫権との同盟
夏口に落ち着いた劉備は諸葛亮を孫権のもとへ遣わし、同盟を結ばせた。この冬、孫劉連合軍は赤壁で曹操の大軍を焼き払う。長坂で命を拾った阿斗は、のちの蜀漢二代皇帝・劉禅である。
超精密3Dで見ると合戦パスの特典

同じ場面を、標準の画質と超精密3Dで並べました。線を左右に動かして見比べられ、「引き」と「接近」で見え方を切り替えられます。超精密3Dでは、山肌の尾根と谷、3Dの森と岩、海や川の水面、田畑の筋、人の姿の兵まで精密に描きます。各合戦の1章目は、合戦パスが無くても超精密3Dで見られます。
よくある質問
長坂の戦いとは何ですか?
十万の民を連れて南へ逃れる劉備に、曹操の精鋭騎兵五千が追いつく。趙雲は単騎で敵中に取って返して幼い阿斗を救い、張飛は長坂橋に仁王立ちして大軍を止めた。赤壁への序曲。
長坂の戦いはいつ・どこで起きましたか?
208年、荊州 当陽 長坂(後漢 建安十三年)で起きた合戦です。
長坂の戦いでは誰が戦いましたか?
劉備軍の劉備、曹操軍の曹操らが戦いました。
長坂の戦いを3Dで見られますか?
はい。このページで約3分の3D俯瞰演出として無料でご覧いただけます。布陣・軍勢の動き・勝敗の流れを直感的に追えます。
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