孫劉連合軍周(呉)
周瑜
しゅうゆ
「美周郎」
175–210(享年36)
- 官位・役職
- 建威中郎将 / 大都督
- 領国・本拠
- 江東(呉)
- 3Dで見られる合戦
- 1合戦
後世の想像図・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
曲に誤りあらば、周郎顧みる。
三国志・周瑜伝
孫策の盟友として江東平定を助け、その死後は若き孫権を支えた呉の大都督。赤壁では徹底抗戦を唱えて連合を主導し、黄蓋の火計で曹操の大軍を撃破した。音楽にも通じた美丈夫で「曲に誤りあれば周郎顧みる」と謳われた。天下二分の計を抱いたまま、遠征の途上で病没した。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 198建安三年
孫策を輔く
盟友孫策とともに江東を平定し、呉の基盤を築いた。
- 208建安十三年
赤壁の火計
主戦論を貫き、黄蓋の火船で曹操の大軍を撃破した。
赤壁の戦い 総大将 兵 30,000 3Dで見る › 呉の大都督、美周郎。火計の全てを指揮し、五万で二十万を打ち破る空前の勝利を演出した。 PR『三国志』吉川英治Amazonで見る
- 210建安十五年
巴丘に没す
益州攻略を志すも、遠征の途上で病に倒れた。享年三十六。