豊臣軍羽柴 → 豊臣
豊臣秀次
とよとみ ひでつぐ
1568–1595(享年28)
- 官位・役職
- 関白 / 左大臣
- 領国・本拠
- 近江八幡 → 尾張清洲
- 旗印・家紋
- 沢瀉
- 3Dで見られる合戦
- 3合戦
肖像画・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
豊臣秀吉の姉・ともの子。幼くして宮部継潤、ついで三好康長の養子となり、三好信吉と名乗った。天正十二年の小牧・長久手の戦いでは、池田恒興らが三河を突く別働隊(中入り)の名目上の総大将となったが、白山林で徳川勢に背後を衝かれて大敗し、秀吉の激しい叱責を受けた。翌年の四国攻めでは叔父秀長とともに阿波へ攻め入り、近江八幡四十三万石を与えられて城下町を開く。天正十八年の小田原攻めでは、北条方の要衝・山中城をわずか半日で攻め落とす武功を挙げ、戦後は尾張清洲を与えられた。秀吉の嫡子鶴松の死を受けてその養子となり、天正十九年に関白を譲られる。しかし秀頼の誕生後は秀吉との間に溝が生じ、文禄四年に謀反の疑いをかけられて高野山へ追われ、切腹。妻子ら三十余人も三条河原で処刑された(秀次事件)。「殺生関白」の悪評は、後世の創作とする見方が強い。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1584天正十二年
長久手の大敗
中入りの別働隊を率いるも、白山林で徳川勢に背後を衝かれ総崩れとなった。
小牧・長久手の戦い 兵 4,000 3Dで見る › 秀吉の甥にして別働隊の名目上の総大将。白山林で背後を衝かれて総崩れとなり、馬を借りて落ち延びた。 PR「小牧・長久手の戦い」の本を探す楽天で探す
- 1585天正十三年
近江八幡
四国攻めに出陣し、近江八幡四十三万石を与えられて城下町を開いた。
- 1585天正十三年
- 1590天正十八年
山中城を落とす
小田原攻めの緒戦で、北条の要衝・山中城をわずか半日で攻め落とした。
- 1590天正十八年
小田原攻め
秀吉の甥。箱根の関門・山中城の攻め手の大将となり、わずか半日で攻め落とした。のちに秀吉から関白の座を譲られる。
相模国 小田原 兵 20,000 3Dで見る › PR「小田原攻め」の本を探す楽天で探す
- 1591天正十九年
関白就任
鶴松の死を受けて秀吉の養子となり、関白を譲られた。
- 1595文禄四年
秀次事件
謀反の疑いで高野山へ追われて切腹。妻子も三条河原で処刑された。