孫権軍孫(呉)
孫権
そんけん
「碧眼の呉主」
182–252(享年71)
- 官位・役職
- 呉の皇帝(大帝)
- 領国・本拠
- 江東・荊州
- 3Dで見られる合戦
- 2合戦
後世の想像図・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
子を生まば当に孫仲謀の如くなるべし。
曹操の言(『三国志』呉主伝注)
孫堅の次男。兄孫策の急死により十九歳で江東の主となった。周瑜・張昭を柱に人材を集め、赤壁では劉備と結んで曹操の南下を退ける。建安二十年、十万で合肥を攻めたが張遼の八百騎に本陣を蹂躙され、撤退の殿で逍遥津に孤立し、板の外れた橋を馬で飛び越えて辛くも逃れた。のち呂蒙に関羽を討たせて荊州を奪い、夷陵では若い陸遜を大都督に抜擢して劉備の大軍を焼き払った。黄龍元年に皇帝を称し、呉を建国。晩年は後継争いで国を乱したが、七十一歳まで生きて三国の君主の中で最も長命であった。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 200建安五年
江東を継ぐ
兄孫策の死により十九歳で江東の主となる。
- 208建安十三年
- 215建安二十年
合肥の戦い
十万で合肥を攻めるも張遼に本陣を突かれ、逍遥津を飛び越えて逃れた。
合肥の戦い 総大将 兵 40,000 3Dで見る › 呉の主。十万で合肥に迫ったが張遼の突撃に本陣を蹂躙され、撤退の殿で逍遥津に孤立。板の外れた橋を馬で飛び越えて辛くも逃れた。 PR「合肥の戦い」の本を探す楽天で探す
- 222黄武元年
夷陵の戦い
陸遜を大都督に抜擢し、劉備の東征軍を火攻めで破った。
- 229黄龍元年
呉の皇帝
武昌で皇帝を称し、建業に都を置いた。
- 252神鳳元年
崩御
七十一歳で没す。三国の君主で最も長く生きた。